還内府の章 十九、清盛の遺言(1)

 

「寒いな……」

将臣は嘆息混じりにつぶやいた。

1月が終わり、2月が過ぎて。京は春を迎えていた。

しかし、このところ季節を無視した肌寒い日が続いている。なんとなく部屋を出る気にもなれず、昼を過ぎても、将臣は(とこ)の中で寝転んでいた。

邸の中もしんとしている。――まるで、火が消えたように。

清盛が原因不明の病に倒れたのは数日前。東国の反乱鎮圧に、自ら出陣すると息巻いていた矢先のことだった。

日夜、高熱に浮かされ、うわごとをつぶやき、意識のある時には、暴れて手がつけられなかった。

医者も――この世界では薬師(くすし)というのだが、回復の見込みはない、とそう判断したらしい。

将臣の世界の「平清盛」も、突然の熱病で帰らぬ人になった。そのうろ覚えの知識が、嫌でも思い出された。

(……同じになるとは限らない)

 ここは異世界。何より、あの清盛のことだ。医者が何と言おうとも、嘘のように回復するかもしれないではないか。

 目を閉じ、何度目かもわからない寝返りを打つ。

 

キシッ……

 

かすかに、廊下のきしむ音がした。

気のせいかとも思ったが、将臣は目を開けた。

御簾(みす)の向こうに、背の高い人影がうつっていた。幽霊のような声が呼びかけてくる。

「……有川」

「うわっ!知盛かよ。脅かすな」

将臣は飛び起きた。

「父上がお呼びだ。……来い」

 それだけ言って、影は廊下を引き返していった。

「おい、ちょっと待てよ!」

 朝から、ろくに身支度もしていない。大急ぎで体裁(ていさい)を整え、将臣は廊下に飛び出した。邸が広いのが幸いして、清盛の部屋に着く前に、知盛に追いついた。

「少しくらいは待てっての。こっちは寝起きなんだよ」

「それはそれは……いいご身分だな」

 かすかに口元を歪める知盛。

将臣は即座に言い返した。

「否定はしないが、おまえにだけは言われたくねえぞ」

 朝に弱いのはお互い様。いや、知盛のそれは、将臣に輪をかけている、らしい。

 内裏に上がる日でさえ、放っておくと昼過ぎまで起きてこないことも珍しくないそうだ。

 そんな時の起こし役は、重衡が引き受けているという。なぜなら寝起きの知盛はだいたい機嫌が悪いため、邸の使用人は誰も近付きたがらないからだ。

無駄に長い廊下を並んで歩きながら、将臣は尋ねた。

「清盛が呼んでる、ってのはどういうことだよ?意識が戻ったのか?」

「時折」

 ぽつり、と知盛がつぶやく。

「正気に返ることがあるらしい。今は、おまえと話したがっている」

 それだけ言って、また口をつぐむ。

 もともと口数が多い奴ではないが、今はこんな時である。少しは気を遣ってやった方がいいかと思い、将臣もそれ以上聞くのを遠慮した。

 知盛が足を止めた。

 あまりに唐突だったので、将臣も驚いた。

「おい、どうした?」

「…………」

 知盛は黙って前を見つめている。視線の先を追っても、そこには何もない。

 もう1度声をかけようとした時、知盛が口をひらいた。

「重盛兄上が……」

「は?」

「……死んだ時も。こうやって、呼び出された」

「なんだって?」

「一族の者を、1人1人呼んで、遺言した。それを……思い出した」

 ようやく、将臣は理解した。知盛が何を言っているのか。

 遺言。死にゆく者が、最後に残す言葉――。

「なに、縁起でもないこと言ってんだ。清盛が治らないって決まったわけじゃねえだろ。病気なんてもん、気の持ちようでどうとでもなるって」

我ながら、説得力がないとは思った。それは、そうなってほしいという自分の願望に過ぎない。

 ゆっくりと、知盛の目がこちらを向く。

「病気か……」

 つと、視線をそらし、

「呪詛……というものを知っているか?」

「あ?ジュソ?」

「いや……」

知盛はかすかに首を振り、また何事もなかったように歩き出した。

「って、おい。待てよ」

今の言葉は何だったのか。そう尋ねても、知盛は答えようとしない。

そうこうしているうちに、清盛の寝所(しんじょ)に着いてしまった。

本来の寝所ではなく、邸の中でも奥まった場所にある、いつもは使われていない部屋だ。

原因不明の病、ということで必要以上に恐れられているのかもしれない。1つだけある扉には、厳重に鍵がかけられている。

部屋の前には、老武士が1人、番をしている。

清盛の郎等にして平家の執事、平盛(たいらのもり)(くに)である。

清盛が倒れて以来、盛国は邸に泊まり込み、昼夜を問わずそばに控えていた。

将臣たちがやってきたのを見て、かすかに腰を上げ、部屋の中に向かって声をかける。

「尼御前、将臣殿が――」

すぐに時子の声が答えた。

「お通ししなさい」

 盛国が扉を開く。

 室内は暗い。灯台が1つ、灯されているだけだ。

 清盛が横たわっている。傍らに、時子が座している。時子もまた、昼夜を問わず看病を続けていた。

知盛は時子に向かって小さく目礼すると、何も言わずに廊下を引き返して行った。

将臣は部屋の中に足を踏み入れた。背後で、扉がきしみながら閉ざされる。

清盛は眠っていなかった。しっかりと目を開けて、こちらを見上げている。

ここ数日で、(とお)は老けたように見えた。確か、食事も喉を通らないと聞いている。

痩せてやつれ、瞳の輝きも弱々しい。

「来たか、将臣」

「……ああ。具合はどうだ?」

 そう言いながら、将臣は清盛の枕元に腰を下ろした。

「見ての通りよ」

清盛はふっと鼻から息を洩らした。もしかすると、笑ったのかもしれない。

「今のうちに、そなたと話しておきたくてな。……時子。すまぬが、外してくれるか」

「承知致しました」

 時子は静かに席を立った。また扉がきしみながらひらき、そしてゆっくりと閉ざされる。薄暗い部屋の中で、将臣は清盛と2人きりになった。

「そなたには、すまなんだな」

 最初に清盛が口にしたのは、謝罪の言葉であった。

「元の世界に戻る方法を見つけてやるつもりであったが……どうやら、間に合いそうもない」

 将臣は思わず両膝を乗り出した。

「何、言ってんだ。俺のことなんかより、早く元気になれって。尼御前に、あんま心配かけんなよ」

「時子か。あれには若い頃から苦労のかけ通しであった」

 清盛は遠い目をした。

「死ぬまで頭が上がらぬだろうと思っておったが――おそらく、死しても同じことであろうな」

「おい、縁起でもないこと――」

「よいのだ。人の命はいずれ尽きるもの。今更、騒ぎ立てるまでもないわ」

 既に覚悟を決めたようなセリフに、将臣は言おうとした言葉を飲み込むしかなかった。

「我は、一門のため、(おの)が望みのため、時に人と争い、容赦なく奪い取ってきた。その(ごう)が返ってきただけよ。――悔いはない。我は救いなど望んでおらぬ。己が業に生き、業に死するは、いっそ本望よ」

ふいに清盛の瞳が、烈火の如く燃え上がる。

「だが、勘違いするでないぞ。我はあきらめてはおらぬ。死は避けられぬもの――なれど、そのようなものには負けぬ。我は消えぬ。死すらも超えてみせると、そう申しておるのじゃ」

「なんだよ、それ……」

 将臣は小さくかぶりを振った。

「気が弱いのか強いのか、わからないこと言ってんじゃねえって。そんな元気があるなら、病気になんか負けんなよ。起きられるようになったら、また何でも付き合ってやるから」

 こちらの言葉は聞こえたのだろうか。清盛はしばし天井を見つめ、何かを考えているように見えた。

「そうじゃな……」

やがて小さくつぶやいて、かすかに口の端を上げる。

「では、病が癒えたら、共に双六(すごろく)で遊ぶか」

「双六?そんなんでいいのか?」

 将臣は目を丸くした。清盛がふっと吐息を漏らす。

「意外か。幼い頃から、我の気に入りの遊びであった。全ては、(さい)の目のまま――。人の生き死にも、どこか似ておろう?」

「そんなもんかね。そりゃ双六ぐらい、いつでも付き合うが……もっとぱーっと、宴でも開いた方がいいんじゃねえのか?」

「宴か。それもよいな」

 話し疲れたのかもしれない。清盛は目を閉じた。

「清盛?」

「……1つ、頼みがある。将臣」

「何だ?……って、おい。無理すんなよ」

 清盛が起き上がろうとしたので、将臣は慌てた。

とっさに両手を出して清盛の体を支える。痩せて衰えた体は、驚くほど軽かった。

「すまぬな」

 清盛は上体だけを起こし、一息ついた。それから、着物の袖に手を入れる。何かを取り出そうとしているようだった。

「これを、もらってくれぬか」

やがて、かすかに震える手を、将臣の手に重ねる。

そっと手をどけた時、そこには、いつかの商人が持ってきた(ぎょく)があった。

 紫を帯びた青。海の蒼のように深い。

「この瑠璃(るり)は、そなたに似合うと思ってな」

「…………」

 将臣は手の中の玉と、清盛のまなざしとを見比べた。

「俺がもらってもいいのか?」

 清盛はかすかに首を上下させた。

「そなたに持っていてほしいのだ。いずれ元の世界に帰り、元の暮らしに戻っても、時にはこの玉を見て京のことを思い出すように、な」

「……わかった。そういうことなら、預かっとく」

 清盛がほほえんだ。

 が、その微笑は、すぐに苦悶の表情へと変わる。

「おい、だいじょうぶか?」

 清盛は胸を押さえて喘いでいる。今度は横になるのに手を貸してやった。

「無理すんなよ」

「うむ、少し休む。時子を呼んでくれるか」

「わかった」

 将臣は急ぎ立ち上がった。

部屋を出る時、もう1度、寝ている清盛の方を振り向く。清盛も目を上げて、こちらを見つめていた。

「じゃ、またな」

「ああ」

 それが生きている清盛と交わした、最後の言葉になった。




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