還内府の章 十八、絵巻(2)

 

 向かった先は、清盛の居室だった。場所は知っていたが、入るのは初めてである。

意外というか、シンプルな内装だった。だいたい、この邸には屏風(びょうぶ)襖絵(ふすまえ)舶来(はくらい)(つぼ)など、無駄にあれこれ飾ってあるのだが。

プライベートな場所には、あまり物を置かない主義なのかもしれない。

 ただ、書物だけはある。文机や棚、床の上にも、所狭しと。

「どこに置いてあったか……。ああ、これか」

 清盛は書物の山をしばらく(あさ)った後、巻物を1つ、投げてよこした。

「何だよ、俺はこっちの世界の字は読めねえぞ」

「読めずともわかる。ひらいてみよ」

 言われた通りに広げてみる。途端に、色鮮やかな絵が、将臣の目に飛び込んできた。

 それは絵巻だった。書いて字の如く、巻物に描かれた絵物語のことである。

 壮麗、かつ繊細なタッチの絵に、墨で書かれた文章が添えられている。その文字も、流れるような達筆だ。

キラキラと光っているのは、金箔か何かが紙に梳きこんであるのだろうか。いかにも手の込んだ細工物だ。多分、売ったら高い。

「すげ……。また倉から持ってきたのか?」

最初に出てきた絵は、物語の一場面のようだった。

 黒い炎に包まれ、今にも焼け落ちようとしている町並みをバックに、長い金髪の男が描かれている。

 燃えるような赤い衣をまとい、世にも恐ろしげな怪物の群れを従えて。

 逃げ惑う人々。

 しかし、光に包まれた少女が空に浮かんで、人々を導くように手を差し伸べている。少女の背後には、神々しい真っ白な龍が――。

「……で?何なんだ、この絵」

 将臣は絵巻から顔を上げ、清盛を見た。

「かつてこの京に、鬼の一族が攻め入った。その戦いを描いておる」

「鬼?って……」

 将臣の疑問の声に、清盛は絵の中に描かれている金髪の男を指差した。

「こいつが?人間じゃねえの?」

確かに悪人顔だが、いわゆる『鬼』には見えない。角もないし、金棒も持っていない。

「左様。『鬼』とは人間よ。京の民とは異なる姿、異なる力を持つ。かつて京の民と争い、都を手に入れんとした」

 まるっきり聞いたこともない話だ。少なくとも、歴史の授業では習った覚えがない――と、そこまで考えて、ここが異世界だということを思い出す。

 異なる姿の人間……つまり、異民族か。

 あらためて見ると、絵の中の男は西洋人のような風貌をしている。

 いわゆる民族紛争のようなものが、かつてこの京ではあった?

「戦い敗れた鬼の首領は、京の都を巻き添えに滅ぼさんとした。その危機を救ったのが、京の守護者たる龍神によって、異界より招かれし『神子(みこ)』。その絵に描かれておろう」

 そう言って、今度は光に包まれた少女の方を指差す。

 少女は美しかった。(かすみ)のような淡い桜色の衣をまとい、抜けるように肌が白く、瞳は新緑の色だ。慈愛に満ちたほほえみは、人というより、女神か何かのように見える。

「危機を救ったって……要は、この化け物みたいなのを退治したってことか?」

 絵巻の中の怪物たちは、どれも邪悪で、敵意に満ちた顔をしている。

姿形はさまざまで、獣に似た奴も居れば、植物に手足が生えたようなのも居る。ぱっと見、幽霊のような奴も居る。

「左様。龍神の加護によって鬼を退(しりぞ)け、その化け物――『怨霊』を地に封じた」

「はあ」

「何じゃ。気の抜けた返事をしおって」

 清盛があきれたような顔をする。

「あー……、要するに、あれか?実際の戦いとかをもとにしたフィクション、ってやつか?」

 清盛は片方の眉だけを持ち上げ、将臣を見た。

「ここに描かれているのが、作り話だとでも思ったのか?」

「いや、だって……こんな化け物、現実に居るはずねえし。戦ったとか退治したとか、ありえねえだろ?」

 将臣としては、ごく当たり前のことを言ったつもりだった。

 しかし清盛は小さく首を振り、

「そなたの世界では、そうなのかもしれんな。だが、この京では違う」

 怨霊は実在する。この絵巻に描かれているのは、過去に実際起きたことなのだと清盛は言った。

「…………」

 将臣はあらためて絵巻の中の怪物たちを見た。

 こんなものが現実に襲いかかってきたら洒落にもならない気がするが……。さしずめホラー映画か、リアル系の妖怪物か。いずれにせよ、背筋の寒くなる話だ。

「……まあ、『怨霊』については、京の民の中にも、その存在に懐疑的な者は多いがな」

 清盛が言う。思わず「は?」とその顔を見返すと、清盛は続けて言った。

「怨霊が地を跋扈(ばっこ)しておったのは百年も前のこと。いかに恐ろしさを伝え聞いても、人は己の目で見たものしか信じられぬ、ということかの」

「……何だよ。ただの言い伝えなのか?」

将臣は拍子抜けした。

「ただの言い伝え、ではない。事実あったことだと申しておろう」

 いささかうんざりした、という口調で清盛が言う。どうも、自分がよほど物わかりの悪い人間にでもなったかのようだ。

「だったら、あんたは見たことあんのか?その『怨霊』ってやつ」

「ある」

 清盛はきっぱりうなずいた。

「怨霊とはつまるところ、恨みを呑んで死んだ魂が、人に仇なすもの。この乱世、恨みを呑んだ死者など、そう珍しいものではないからの」

 将臣は清盛の目を見つめた。嘘や冗談を言っている目ではない。

「何じゃ、まだ信じられぬか?」

「……いや」

 多分、じかに『怨霊』とやらを見るまでは半信半疑のままだと思う。しかし清盛が見たというなら、この世界では確かに居るのだろう。

「この化け物を、その『神子』だかいうのが退治したのか?」

「そうじゃ」

「そんなことができるのかよ?」

 それもまた、ごく当たり前の疑問だった。

絵の中の美少女に、怪物退治など果たして可能だろうか?

 今度は清盛も首を振らなかった。軽くうなずいて、

「無論、ただの人間に左様なことはできまい。『神子』は龍神の力を受けし唯一無二の存在――穢れを祓い、怨霊を封じる力をその身に宿しているという」

 よくわからない。要は、神様の力を使えるということだろうか?

「伝承によれば、その姿は、清らかで見目麗しき乙女。京に危機ある時、異界よりこの地上に降り立つ。そう伝えられておる」

 ふと、何かが将臣の意識にひっかかった。

この京ではない、別の世界から来た人間。

見目麗しいかどうかはともかくとして、乙女、即ち若い女――。

 思い浮かんだのは望美の顔だった。

(まさか、な)

 望美はただの人間だ。化け物と戦う力などない。

 そもそも、京を滅ぼそうとする鬼の男など、今はどこにも居ない。清盛曰く、百年も昔の話だ。

「化け物を退治した後、その神子っていうのはどうなったんだ?」

 わからぬ、と清盛はあっさり言った。

「確かな記録が残っておらぬからの。この絵巻の中では、鬼との戦いの後、人知れず姿を消した、ということになっておるが」

 なるほど、いかにもそれらしい、謎を残した終わり方だ。

 話を聞いているうちに、世も更けた。

「興味があるなら持ってゆくがいいぞ」

という清盛の言葉に甘えて、将臣は絵巻を自室に持ち帰り、その夜、遅くまで(とこ)の中で眺めた。

ほとんどが戦いの様子を描いた絵だった。

 最初の絵に出てきた少女と赤い衣の男以外にも、少女を守る男たちや、『鬼』の刺客など、登場人物は多い。

 また、人間だけでなく、巨大な人面の蜘蛛、炎をまとった怪鳥、天狗に河童などなど、多種多様な怪物たちが紙の上で躍っていた。

 龍神の神子、というだけあって、少女が出てくる時は、だいたい白い龍とセットで描かれている。

 一方で、清盛が鬼の首領だと言った赤い衣の男は、漆黒の龍を従えていた。

 白い龍が京の守護神なら、漆黒の龍は、さながら京を滅ぼす破壊神といったところか。

 最後は、どういう理屈なのだか知らないが、白い龍と漆黒の龍とが1つに溶け合い、金色の龍になって空に昇っていく絵で終わっていた。

(龍神の神子か……)

 将臣はごろりと寝床に横になり、目を閉じた。まぶたの裏に、色鮮やかな絵巻の世界が浮かんでいた。




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