還内府の章 十七、将臣、内裏へ行く(2)

 

「すごいすごい!高いぞ!」

 帝の歓声が、内裏にこだまする。

「木の上まで手が届くぞ!背が大きくなったみたいだ!」

 将臣の肩の上で、帝は(おお)はしゃぎしている。

なんのことはない、ただの肩車である。帝をかついで、将臣は適当に庭先を歩き回った。

さすがは内裏と言うべきか、広くて立派な庭だ。少し歩くと、庭木の陰に隠れて、清涼殿の建物が見えなくなってしまった。

「けどおまえ、高い場所には慣れてるんじゃないのか?」

 帝が外出する時は、牛車や輿(こし)に乗る。輿とはつまり、人にかつがれて移動する乗り物だから、目線も高くなるはずだ。

 しかし帝は、将臣の言葉に首を振った。

「輿に乗る時は、外を見ないようにしているのだ」

「なんだ。怖いのか?」

「怖くなどない!」

帝はムキになった。

「怖くなどないが……輿に乗っていると、体が浮いているみたいで、変な感じがするのだ。そのまま下りられなくなってしまいそうで、怖……」

 うっかり「怖い」と言いそうになったのだろう。帝は慌てて自分の口を押さえた。

「ま、いいけどな」

軽くゆすり上げてやる。

「うわっ」

帝がしがみついてくる。

「もう下りるか?」

「まだだ。もっと遠くへ行こう、将臣殿」

「帝。そろそろお戻りになりませんと」

 世話役の女官たちが言う。この程度のことでも、帝がケガでもしないかと、ハラハラしているらしい。

「嫌だ。まだ戻らぬ!」

「ですが……」

 顔を見合わせる女官たち。

 あまり困らせるのも気の毒だし、適当なところで切り上げて戻るべきか。

 将臣がそう思っていると、女官の1人がぽんと手を打った。

「そうですわ。お部屋に珍しい唐菓子を用意してございます。あれでおやつに致しましょう」

 帝は明らかに気持ちが動いたようだが、

「わ、私は……おやつなどいらぬぞ」

 まだ意地を張っている。

「俺も、甘いもんが食いたくなったな」

将臣はわざととぼけた口調で言った。

「……わかった。将臣殿がそう言うなら――下ろしてくれ」

「ん、よし」

 地面に下りると、帝はすぐに駆け出した。幼い子供はよく走る。別に急ぐ必要のない時でも、ただ部屋に戻るだけでも。

「ああ、帝、お待ちくださいませ……」

 女官たちが追いかけていく。

行き先はわかっているのだから、急いで追う必要もあるまいに。

将臣はのんびり歩いていった。

すると、どういうわけだか、女官たちが戻ってきた。

「将臣殿、大変でございますわ。帝がお姿を消してしまわれました」

「は?今そっちに行ったばっかだろ?」

「そのはずなのですけど……。ああ、困りましたわ……」

 女官たちはおろおろしている。

 あの年の子供に振り回されているようでは、いささか頼りない。

見れば女官たちは、将臣とそう変わらない年頃だ。もしかすると、新人なのかもしれない。

「落ち着けって。んな遠くに行けるはずないんだから、行きそうな所を探せばいいだろ」

「そう、でございますね。皆様、参りましょう」

 女官たちが離れていく。

 と、木陰からひょっこり、帝が顔を出した。

「行ったようだな」

「おまえ……隠れてたのかよ」

 帝は得意げに胸を張った。

「あの者たちが居ると、ゆっくり遊べぬからな。部屋に戻るふりをして、ここに隠れたのだ」

「やるじゃねえか」

 なかなか知恵が回る。つい感心して、諭すより誉めてしまった。

「うむ。前に、知盛殿にならったのだ。『うるさい女を()く方法』をな」

 前言撤回。

 今度知盛に会ったら、子供に妙なことを教えるなと一言(ひとこと)言ってやるべきだろう。

「……で?こんな真似したってことは、何かやりたいことがあるんだろ?」

「うむ。将臣殿と、『めりーごーらんど』がしたい」

「やっぱ、それか」

 将臣は辺りを見回した。

 広さは十分。

庭に面した建物の中から、誰かが見ていない、とは言い切れないが、

「いいぜ。わかった」

その時はその時だ。

 帝は飛び上がって喜んだ。

 1回だけ、と念押しして、帝と手をつなぐ。

「絶対に放すなよ。……行くぞ!」

 ぐるり、と世界が回る。

「あははははは!!すごいすごい!!

 ぐるぐる、ぐるぐる。

帝は楽しそうに笑っている。

 将臣も調子に乗って回転数を上げ、ついでに逆回転バージョンまでしてやった。つまり……手ではなく、両足首を持って、帝を振り回す。

「あははは!!ははは!! はは!!

 だんだんと、帝の笑い声が途切れがちになる。

「おい、だいじょうぶか?」

 将臣は回転を止めた。帝の両足を持ったまま、顔の高さまで持ち上げてやる。

 帝は顔中に笑みを浮かべていた。

「少し目が回った。でも、平気だ。すごく楽しいぞ」

「ちょっとやり過ぎたかもな。ほら、立てるか?」

 そっと下ろしてやる。

 自分の足で地面に下り立った帝は、興奮で息を弾ませながら言った。

「ありがとう、将臣殿。こんなに楽しいのは初めてだぞ」

「お気に召したなら、何より、だ」

 将臣も笑った。

「じゃあ、戻るか。女官さんたちが探してるだろうしな。あんまり心配させるのも気の毒だろ」

「うむ、そうだな。戻って、おやつにしよう」

 帝はまた元気よく走り出した。

「おい、気をつけろ。転ぶぞ」

 しかし帝は、意外にしっかりした足取りで駆けていく。

回復の早さに将臣が感心していると、木陰から「クッ……」とひそめた笑い声が聞こえた。

この声は――。

「知盛?」

「……よう」

 ふらりと長身の影が姿を現す。確かに知盛だが――何やら、いつもと様子が違う。

 邸で見かける時は、高そうな着物をルーズに着崩していることが多いのだが、さすがに内裏の中だからか、きっちり正装している。

珍しく烏帽子などもかぶり、瞳の色を薄めたような藤色の着物を身にまとい。

「…………」

将臣はついまじまじと見てしまった。

知盛が参内(さんだい)すると、女官たちがついて回る、とかいう話を以前、経正がしていた。あながち、冗談ではなかったのかもしれない。

「随分と楽しそうだったな……」

「見てたのかよ」

 だったら、隠れていないで姿を現せばいいものを。

 知盛はくつくつと笑いながら、

「まあな……見ていたさ。恐れ多くも、おまえが帝を逆さ吊りにしていたところ……とかな」

「文句があるなら、止めろよ」

 将臣は憮然と言い返した。

「文句などないさ……。宗盛兄上ならば、卒倒したかもしれんがな」

「冗談やめろ。それより、何の用だ?」

 知盛は笑うのをやめて、軽く肩をすくめた。

「……通りがかっただけだ。内裏はどうだ?」

 将臣は頭をかいた。

「どうって言われてもなあ。中を見て回ったわけじゃねえし、余計な場所には行くなって言われてるし」

「その方が賢明だろうな……。見て、楽しいような場所ではない……」

「はあ、そうか。……っと、こうしてる場合じゃねえな」

帝が待っているはずだ。将臣がもと来た方に戻りかけると、背中から知盛の声が追いかけてきた。

「お忙しいところ、お引き止めして悪かったな……」

「だから、冗談はいいって。それより、おまえも来いよ。うまい菓子があるとか言ってたぞ」

「…………」

 帝と違って、知盛が菓子で釣れるとは思わなかったが、意外にも知盛はついてきた。あいかわらず、何を考えているのか、よくわからない。

 2人で建物の方に引き返す。

すると、何やら騒がしいことに気づいた。先程の女官たちが、慌てふためきながら廊下を駆け回っている。

「ああ、将臣殿」

 1人がこちらに気づき、足を止める。その顔は強張り、青ざめている。

「どうした、何かあったのか?」

 ――まさか、また帝が姿を消したか?

という将臣の予想は外れた。

「宗盛様が、お倒れになって……薬師(くすし)を呼びに参るところですわ」

「宗盛が?」

「先程、お庭の方をご覧になっていて――何か、信じ難いものを見た、とか仰って」

『………………』

 将臣と知盛は、しばし無言で立ち尽くし――。

 先に(きびす)を返したのは知盛の方だった。

「って、おい。どこ行く気だ」

「……帰る」

 すたすたと早足で歩いていく知盛。その背を追いながら、

「1人で逃げるな。フォローしてけ」

 知盛は足を止めない。こちらを振り返りもせず、

「何を期待しているのかは知らんが……俺が宗盛兄上をなだめたところで、火に油をそそぐだけだぜ……?」

「いいから待てっての。じゃないと、おまえも見てたって宗盛に言うぞ」

 ぴたりと知盛が立ち止まった。

 理由は、すぐにわかった。

倒れたはずの宗盛が、行く手をふさぐように現れたからだろう。

怒りのあまり、ショックから立ち直ったのか。

完全に顔面蒼白で、額に青筋を浮かべ、かすかに震えているようにすら見える。

 弁解は無駄だった。

 その日、内裏に夕暮れの赤い光が差し、やがてはそれも消えて夜が来るまで、宗盛は怒鳴り続けた。




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