還内府の章 十七、将臣、内裏(だいり)へ行く(1)

 

 災いは災いを呼ぶのだろうか。

南都焼討からおよそ半月後の、治承(じしょう)5年1月14日。

安徳帝の父、高倉(やまい)のために世を去った。まだ21歳の若さだった。

彼の早過ぎる死は、平家一門にとって大きな打撃となった。

 京では「院政」と言って、帝の父や祖父に当たる人物が(まつりごと)を行うのが通例である。そのルールに従うと、次に院政を行うのは、安徳帝の祖父、後白河院ということになる。

 しかし、この後白河院、平家との対立がもとで権力の座を追われ、一時は幽閉されていた人物である。

 その後白河院が権力の座に返り咲くということは(すなわ)ち、平家と敵対する政治勢力の復権を意味していた、らしい。

そんなややこしい事情は知らない将臣は、帝のことを考えていた。

 これまで、帝の口から父親について聞かされたことはない。……ただの1度も。

やんごとない身の上ともなると、普通の親子のようにはいかないものなのかもしれないが……それでも、あの年で父親を亡くしたのだ。

 顔を見に行ってみるかと思っていた時、都合よくあちらから誘いの(ふみ)が来た。

 宗盛は結局、知盛の意見を受け入れたらしい。

 この世界の人間でない将臣は、犬猫と同じだろうと――無茶苦茶な話だが、深く考えたら負けだろう。

 そんなわけで、将臣は初めて内裏を訪れることになった。

 時子が案内役をつけてくれた。

邸の下働きの男で、『舎人(とねり)』とか呼ばれていた。身分の低い官人や、貴人のもとで働く雑人(ぞうにん)を指す言葉だという。

 内裏は、京の北辺にある。

周囲を築地(ついじ)(べい)に囲まれた東西南北およそ1キロメートル超の空間に、帝の御座所(ござしょ)や、諸官庁の建物が集っている。

 (うやうや)しく牛車で連れて行かれるかと思えば、移動は徒歩だった。

中に入る時も、立派な門ではなく、裏口のような場所から。

さらに案内役の男は、将臣にこんなことを言った。

「宗盛様のご指示でございます。必要のない場所にはけして立ち入らぬように。それから……できる限り目立たぬように、と」

「?」

「内裏には、亡き殿(との)を知る者も多いので……。その、あらぬ誤解を招かぬようにとのご配慮で」

 そう言って、男は薄衣(うすぎぬ)を1枚、将臣に手渡した。これで顔を隠せということらしい。

「よくわからんが……わかった」

 宗盛がそう言ったというなら、従った方が賢明だろう。将臣は素直に薄衣を頭からかぶった。

連れて行かれたのは、清涼(せいりょう)殿(でん)、と呼ばれる建物だった。

帝や母親が暮らす居住スペースで、限られた人間だけが出入りを許されるのだという。

 帝は部屋の中で双六(すごろく)に興じていた。将臣の姿を見ると、嬉しそうに飛んできた。

「将臣殿!」

「よ。久しぶり」

 将臣は薄衣を頭から外した。

 部屋の中には、帝の世話役を務める女官が数人。それに、子供が2人居た。

宗盛の嫡男・(きよ)(むね)と、弟の副将(ふくしょう)(まる)だった。

「こんにちは、将臣殿」

 兄の清宗が、丁寧に頭を下げる。

「おう、おまえらも来てたのか」

2人とは六波羅の清盛邸で、何度か面識があった。

清宗は帝より少し年上で、礼儀正しく、しっかりした少年だ。

付け加えると、(ちまた)ではまずお目にかからないレベルの美形でもある。

顔立ちが整っているのは、別に悪いことでも何でもないが、この少年の場合、いささか度を越している。他人の将臣でさえ、将来が心配になるほどだ。

(くれない)がかった藍色の着物と袴をまとい、飾りつきの黒い帽子をかぶっている。その姿は、世話役の女官らがうっかり見惚れてしまうほど美しい。

一方、弟の副将(ふくしょう)(まる)は、まだよちよち歩きに近い子供だ。

小袖という袖の短い着物に(はかま)を履いており、黒髪をちょうどポニーテールのように頭の上で結んでいる。この世界の幼児の、標準的スタイルである。

「将臣殿、私と双六をしよう」

 帝がぐいぐいと将臣の手を引く。ひとまず元気そうな姿にホッとする。

「けど、途中だったんじゃねえのか?」

 双六盤の上には、既にサイコロと駒が並んでいる。

 帝は不機嫌そうに唇を尖らせた。

「いいのだ。清宗とやるのはつまらぬ。すぐに私に勝たせようとするのだ」

「申し訳ございません」

 清宗が神妙な面持ちで頭を下げる。

その態度が、帝は気に入らなかったようだ。顔を赤くして、

「謝るのなら、なぜ手加減などするのだ!私はそのようなことは命じておらぬ!ちゃんと勝負がしたいと言ったのに!」

 気持ちはわかる。だが、それを言うのは酷だろう、と将臣は思った。

 清宗は、帝にも増して聡明な子供だ。帝の遊び相手を務めながら、常に「臣下」として、帝を立てようとする。

「けんかすんなよ。ほれ、機嫌直せ」

 ぽんぽん、と帝の頭を叩いてやる。

「将臣殿……」

「双六やるんだろ?いつまでもふくれてんなよ」

 柔らかそうな頬を指でつつくと、帝は照れたように笑った。

「ふくれてなどおらぬ」

 その様子を見て、清宗もホッとしたようだ。双六盤の前から立ち上がり、将臣に場所を譲ろうとする。

 弟の副将丸が、それを止めた。清宗の着物の袖をつかみ、

「あにうえ」

「どうした?」

 清宗が弟の顔を見下ろす。副将丸はまだ舌ったらずな口調で、

「わたしも、すごろく、したい」

と言った。

「だめだよ、後で」

 今度は副将丸が怒り出した。顔を真っ赤にして地団太を踏む。

「ずるい!みかどばっかりずるい!」

「私はずるくなどない!」

 帝が言い返す。

「副将丸!何てことを言うんだ!」

 清宗に叱られて、副将丸はべそをかき始めた。

「わたしもあにうえとあそぶ!」

 兄の袖にしがみつき、泣きながら訴える。

 幼い副将丸には、『帝』というのがどういうものか、まだよくわからないのだろう。

 母親はおらず、父の宗盛は多忙の身である。その上、兄まで取られては我慢できない、といったところか。

「あー、そこまでだ。けんかすんなって言ってるだろ」

 将臣は3人の間に割って入った。

「清宗。おまえ、副将丸と遊んでやれ。帝は俺と遊ぶ。それでいいだろ?」

「うむ、私はそれでよい」

 帝はすぐにうなずいた。

「わかりました」

と清宗。あくまで帝の返事を待ってから答えている姿が健気(けなげ)だ。

「それじゃ仲直りだ。お互いに、ごめんなさいしろ」

 副将丸は話の展開についていけなかったらしく、泣きべそ顔のままきょとんとしている。

「ほら、副将丸。ごめんなさいだよ」

兄に促されて、「ごめんなさい」と素直に頭を下げる。

「うむ、許そう」

 帝はあくまで尊大だ。

「で、何して遊ぶんだ?やっぱ双六か?」

「いや、双六は副将丸に譲ってやろう」

 機嫌の直った帝は、鷹揚なところを見せた。

「私は外へ行きたい。今日はずっと部屋の中に居て、退屈だったのだ」

 それを聞いて、世話役の女官たちが顔を曇らせた。

「ですが、外はまだ寒うございますので……」

「平気だ。私は風邪などひかぬぞ」

と帝。

「厚着してけば、ちょっとくらいだいじょうぶだろ」

と将臣も言った。

 帝が居ると、清宗が気を遣う。その上、弟の面倒までみなければならないのでは気の毒だ。しっかりしていても、まだまだ子供なのだから。

 心配顔の女官たちを説き伏せ、帝を庭に連れ出す。

 春が近いとはいえ、確かに肌寒い。冷たい風に吹かれて、すぐに帝の頬が真っ赤になった。何か、体を動かす遊びをさせた方がいいかもしれない――。

「将臣殿は、父上と遊んだことがあるか?」

 ふいに帝がそう言い出したので、将臣はぎょっとした。

「そりゃま、ガキの頃にな」

 平静を装いつつ答えると、

「そうか。私は1度もないのだ」

帝はあっけらかんと言った。

「私のそばには、いつも誰かが居てくれる。おじいさまやおばあさまや母上、知盛殿や清宗も居る。だから私は寂しくない。毎日、楽しいのだ」

 帝は小首を傾げて、じっと大きな瞳で将臣を見上げてきた。

「父上が亡くなられたと聞いても、悲しくない。私は悪い子だろうか?」

「…………」

 将臣はしばし無言で帝の顔に見入った。

帝の父親には会ったことがない。2人の関係についてもよく知らないが、

「……んなことねえよ。おまえは多分、それでいい」

 そっと、帝の頭をなでてやる。

「みんなが居て、楽しいと思ってるんだろ?だったら、無理に悲しんだりする必要はない」

 帝は照れくさそうにへへっと笑った。

「将臣殿は、父上とどんな遊びをしたのだ?」

「俺か?そうだな……」

 将臣は幼い頃の記憶を辿った。

「確か、キャンプに行ったことがあったな」

 両親と、弟の譲、それに幼なじみである望美の家族も一緒に。

 父はテントの張り方やかまどの作り方、火のおこし方などを教えてくれた。いつもより頼もしく見えたことを覚えている。

「きゃんぷ??」

「ああ。川に入って水遊びしたり、釣りとかして……採れた魚を、その場で焼いたりな」

「楽しそうだな!私も『きゃんぷ』がしたいぞ、将臣殿!」

「ああ、そのうちな」

 将臣は軽い気持ちでうなずいた。

「嫌だ、今行きたい!」

「まだ寒いから、行ってもおもしろくねえぞ。キャンプってのは、やっぱ暑い夏だろ」

帝は不満そうに頬をふくらませた。

「すぐにできる遊びはないのか?将臣殿の世界の遊びがしたい!」

「そうだな――」

 キャッチボールやサッカー……は、まだ早いだろうか。そもそも、ボールがない。

 父親と遊んだことのない帝に、してやれること。自分と、父との記憶。

「俺が1番好きだったのは、ジェットコースターごっこってやつだな」

父に持ち上げてもらって、辺りを駆け回るという――ただそれだけの遊びだが、幼い将臣にとってはお気に入りだった。

「あと、メリーゴーランドごっことか」

「それはなんだ?」

「こう、親父が俺の両手を持って、ぶん回すんだ」

 身振りを交えて解説すると、帝は澄んだ瞳をきらきらさせた。

「待て。やるとは言ってねえぞ」

 安全な遊びとは言い難い。事実、将臣は何度かケガをしている。父の手がすっぽ抜けて、5メートル以上飛んだこともある。あの時は奇跡的に無傷だったが、父は祖母のスミレに大目玉をくった。

 しかし、帝は期待のまなざしで見ている。

「……だったら、こういうのはどうだ?」

と、将臣は提案した。




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