還内府の章 十六、南都(なんと)焼討(やきうち)

 

 火攻めとは、古来より(いくさ)の基本的な戦術の1つである。

 将臣の世界でも、()の有名な源九郎(みなもとのくろう)義経(よしつね)が、()草山(くさやま)の夜襲で火攻めを用いている。

 ――松明(たいまつ)(とも)せ。

 と、九郎義経は部下に命じて、山に火を放った。辺りは昼間さながらの明るさに包まれたという。

 一方の南都では、平重衡(たいらのしげひら)が部下にこう命じた。

 ――陣の周りの火を絶やさぬように。

 この一言が、南都焼討と呼ばれる事件の発端になった。重衡の言葉を聞いた部下が、それを火攻めの命令と誤って解釈したらしい。

もっとも、火攻め自体は当初から考えられていた作戦だった。

その日は風が強かったため、重衡は作戦を見送るつもりでいたのだが――。

 治承(じしょう)4年1228日。

 始め数件の民家に放たれた火は、瞬く間に南都の主要部を飲み込み、東大寺・興福寺を始めとする多くの寺院が焼失。死傷者は僧兵・民間人あわせて数千人以上。

 大惨事であった。

 翌朝、平家の軍は焼け落ちた町に入り、惨状を目の当たりにする。

 多くの亡骸が、無残に転がっていたそうだ。黒こげの遺体の中には、幼い子供や、その子を抱いた母親とおぼしきものもあったと――のちに、重衡が将臣に語った話である。

 その重衡は翌29日、京に戻ってきた。

別人のように憔悴しきった顔で。

 将臣には何もできなかった。かける言葉さえなかった。

 一夜にして失われた命は数千人。1人で背負うには、あまりに重過ぎる罪。

 自分が焼かれた町の人間であったら――当然、憎むだろう。

 どれほど嘆こうと、後悔しようと、許しはすまい。

 だが今の将臣に、重衡のことが憎めるわけではない。

 雨の中で1人、立ち尽くす姿を見た。時子の膝にすがって、幼児のように号泣している姿も見た。

思い余って出家(しゅっけ)を願い出たらしいが、これは清盛に一蹴された。

 戦に赴くなら、人を(あや)めるのはわかりきっていたこと。甘えるのも大概にしろ、と相手にされなかったそうだ。

 戦とは、人の命を奪うとは、どういうことか。

 命のやり取りなどとは無縁の将臣も、重衡の苦悩を目にしては、さすがに何も考えないというわけにはいかなかった。

「人を殺したことってあるか?」

経正が、知盛が、酒を飲む手を止めてこちらを振り向く。

南都焼討から、1週間あまりがたった夜のこと。いつかのように誘いの文が来て、将臣は経正の邸を訪れていた。

しばしの間があって、知盛の口元に冷たい笑みが浮く。

「妙なことを聞くじゃないか……。俺や重衡が、兵を連れて遊山(ゆさん)に行っていたとでも?」

「そうじゃねえけど……」

将臣は口ごもった。

確かに、間の抜けた質問だとは思う。戦とは戦争のことであり、戦争とは人間同士が公然と殺し合うことだ。

ただ、知識としては知っていても、その実体となると話は別だ。まして当事者の気持ちなど想像もつかなかった。

「なんつーか……それって平気なのか?」

 経正の瞳が陰る。将臣は慌ててかぶりを振った。

「や、違う。そうじゃなくて……」

非難しているわけではない。ただ単に、知りたかっただけだ。なぜ、と聞かれたら答えられないが――。

「例えば……初めての時とかはどうなんだ?覚えてたりするもんか?」

「忘れた」

知盛は即答だった。

「私は覚えておりますよ」

 意外なことに、即答したのは経正も同じだった。

将臣は経正の目を見つめた。いつも穏やかなほほえみを絶やさないこの男が、人の命を奪うところを想像してみようとした。

だが、思い浮かんだのは、全く違う姿だった。

福原の邸で初めて会ったあの夜、琵琶を弾いていた経正。

強く、激しく、心を打つ演奏だった。それはまるで、言葉にできない何かを琵琶の音に変えて、聞く者に訴えかけるかのような――。

「初めて人を(あや)めたその時、亡き母上の顔が頭に浮かびました」

 経正のまなざしが遠くなった。

「なぜかはわかりません。私を大切に慈しんで下さった母上の顔が、幼い日の記憶がよぎったのです」

「…………」

 将臣は経正が言ったことを胸の内で反芻した。

 わかるような気がする――などと、自分が思ったらおかしいかもしれないが。

 それでも、その言葉は、なんとなく腑に落ちた。

 もしも自分が人の命を奪うことがあったら、誰よりも嘆き、そして叱ってくれるのは両親だろう。祖母のスミレが生きていたら、同じようにするだろう。

「気にかけているのは、重衡のこと……か?」

 盃を傾けながら、知盛が尋ねてくる。

「……まあ、な」

「放っておけばいい」

 随分そっけない言い分だ。さすがに、将臣はあきれた。

「おまえな。一応、兄貴だろ」

「俺にどうしろと……?」

「どうって……」

 普通に力づけるとか、いたわってやるとか。

「いや、何でもない。俺が悪かった」

 人には向き不向きというものがある。今の重衡を知盛に任せたら、多分、心の傷をより悪化させるだけだ。

「…………」

「確かに、今はそっとしておくより他にないかもしれませんね」

 経正も言う。その口調は、いつもと変わりない。穏やかで、静かで――正直、違和感があった。

「あー、その、なんだ。重衡のことは置くとして……」

「何か?」

「随分、落ち着いてるんだな。南都のことってのは、その……けっこう大変な事件だったんじゃねえの?」

 京の町でも噂になっていた。鬼や魔の所業だ、神をも恐れぬ大罪だと。

 寺を焼いたこともそうだが、何より多くの民間人を巻き添えにしたのだ。京の人々が事件に憤るのは当然だと思う。

 だが一門内部では、当事者の重衡を除いて、比較的冷静に受け止められているように見える。

 いや、冷酷、と言うべきか。

将臣の問いに、経正は謎めいた言葉で答えた。

「平家の罪は、南都から始まるわけではございません」

「……どういう意味だ?」

 答えは、2人ともそっけなかった。

「知る必要は……ないだろう」

「私もそう思います」

「……どうせ、俺はよそ者だからな」

 経正は苦笑し、知盛は表情を変えない。

 知れば、罪の一端を負うことにもなりかねない。それほどに重い秘密が隠されていることを、将臣はまだ知らない。

「罪は罪です。いつか因果が巡り、報いを受ける時が来るかもしれませんね」

 経正は1度、盃の中身で喉を湿らせ、間を置いてから言葉を続けた。

「それは仕方のないことでしょう。ただ、願わくば、その報いを受けるのは幼い者たちではなく、我が身であってほしい――」

「…………?」

 将臣は眉をひそめた。経正は何を言っているのだ?

 一瞬落ちた沈黙を破ったのは、かすかな笛の音だった。

 ハッと息を飲む経正。

音が聞こえてくるのは、塀の向こう――経正の父、経盛の邸からだった。

「敦盛か……」

知盛がぽつりとつぶやく。

「アツモリ?」

将臣は2人の顔を見比べた。経正は逃げるように顔をそむけて、

「ええ、あの……私の弟です」

 初耳である。経正に兄弟が居るなど、今の今まで聞いたことがない。

「………………」

 経正はしばし無言でうつむいていたが、やがて言い難そうに口をひらいた。

「実は、その……、弟は、敦盛は、重い(やまい)を患っておりまして」

「病?病気か?」

「はい。そのため、人に会うことができないのです。お話すればご心配をおかけしてしまうことになると思い、黙っておりました」

 申し訳ございません、と頭を下げる。

頑なに目を合わせようとしない――経正がこうも動揺しているのは珍しい。

何か隠しているのは明らかだが、それを聞いてはいけないこともわかった。

「別に、謝る必要はねえよ。そういうことなら、お大事にな」

と将臣は言った。

「はい。お心遣い、感謝します」

 経正がホッと緊張を解く。

「…………」

将臣は黙って笛の音に耳を傾けた。

 切ないまでに美しく、そして悲しげな音色だ。

星のない夜空に、高く、低く。今にも消え入りそうで――しかし、途切れない。

この時、経正が何を隠していたのか。将臣が知るのは、まだ何年も先のことだった。

一門の罪と、報い。

その言葉の持つ、本当の意味に気づくのも。




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