還内府の章 十五、内裏(だいり)からの(ふみ)

 

 近江(おうみ)での(いくさ)は、平家の大勝に終わる。

 叛乱を鎮圧した知盛は、さらに東へ――尾張(おわり)美濃(みの)へと攻め進み、そこでも勝利を収めた。将臣の世界で言うなら、滋賀から岐阜・愛知へ、となる。

 一方の重衡は、同じ近江にあるという園城寺(おんじょうじ)を攻めていた。

将臣は全く知らなかったのだが、この世界の寺というのは、軍事力・政治力共に侮れない勢力であるらしい。

昨年、有力な皇族の1人が、こうした寺社勢力と組んで叛乱を起こした。幸いすぐに鎮圧されたそうだが、以来、京周辺の寺社では、平家と敵対する動きが活発化しているのだという。

園城寺(おんじょうじ)の乱を鎮めた重衡は、同じく反平家の動きを見せる興福寺(こうふくじ)攻めのため、今度は南都に向かって旅立った。将臣の世界で言うところの、奈良県である。

 その後も近江周辺では散発的な戦が続いていたそうだが、年の暮れになって、知盛が京に戻ってきた。

兄の宗盛に呼び戻されたらしい。将臣がそれを知ったのは、たまたま2人が一緒に居る場面に出くわしたからだった。

戦に勝って帰ったはずの知盛が、なぜか説教されていた。

「将たる者が先駆(さきが)けするとは何事だ!もしものことがあったら何とする!そもそも、誰が尾張まで攻めよと命じたのか――」

 宗盛は怒りもあらわにまくし立てている。離れて聞いていても、頭痛がしてくるほどの大声だ。

 対する知盛の方は、どう見ても話を聞いているようではない。兄の怒声もどこ吹く風で、右から左へ聞き流している。

「常日頃から、おまえは勝手が過ぎる!一門の男としての自覚があるのか!あるというなら、いつまで妻も迎えずにふらふらしているつもりだ!己の血を残し、一門に貢献することこそ、おまえの責務であろう!いたずらに危険に身をさらすなどもってのほかだ!にも関らず、将たる者が先駆(さきが)けなど……!」

(宗盛ってこういう奴だったか?)

と将臣は訝った。

 もともとよく知っているわけでもないが……なんとなく、今まで見てきた無口な男と、イメージが違う。

 ちなみに先駆けとは、先頭切って敵陣を攻めること。当然危険も大きく、普通、一軍の将がやることではない。

ふと、宗盛の怒鳴り声が途切れた。

「そこで何をしている?将臣殿」

 ぎく。見つかった。

「や、悪い。通りかかっただけだ。別に邪魔する気はねえから」

「待たれよ」

そそくさと立ち去ろうとすると、宗盛に呼び止められた。

「ちょうどよい。貴殿に話がある」

 話?……何だか知らないが、嫌な予感がする。

「けど、取り込み中みたいだし……、俺はまた別の機会に……」

「座られよ」

将臣は言葉を飲み込んだ。

宗盛はパッと見、怖い相手ではない。

中肉中背、どちらかといえば優男であるし、弟と違い、いかにも腕が立ちそうな雰囲気もない。

しかしながら、じっとこちらを見上げる宗盛の目付きには、逆らうとまずいと思わせる何かがあった。

うまく言えないが……下手に恨みを買ったら、執拗に復讐されそうな――。将臣は観念して、部屋の中に足を踏み入れた。

 入れ替わりに、知盛が立ち上がる。

「それでは、私はこれで」

「座れ!」

間髪入れず、宗盛が叫ぶ。

「……お話は十分、承りましたので」

「何が十分か!おまえがどれほど真面目に、私の話を聞いていたというのだ!」

「なんだ。聞いてない、ってのはわかってたのか」

 将臣はつい思ったままを口にした。即座に恨みがましい目で宗盛ににらまれた。

「聞いておりました」

知盛は涼しい顔で言ってのけた。

「血を残せ、との仰せだったのでは」

 宗盛が慌てた。

「違う!あ、いや――つまり、どこの誰でもよいとは言っておらぬ。相応の家柄の娘を妻に迎えよ、と言ったのだ!」

「相応の家柄、ですか……」

 さして興味もなさそうに繰り返す知盛。宗盛は深々とため息をついて、

「先日の話は――(より)(もり)叔父上が持ってきたにしては、良い話であったろうに……」

「なんだ、縁談か?」

 将臣の質問は、兄弟に無視された。

「家柄は申し分なく、見目形(みめかたち)(うるわ)しく、その上、気立てのよい娘だったというではないか。いったい何が不満なのだ」

 知盛は記憶を辿るようにぼんやりと宙を見上げた。

「不満、ですか……。これと言って、特には思い当たりませんが」

「いいから申してみよ!」

「しいて申し上げるなら――退屈、です」

 がっくりと肩を落とす宗盛。

こういう弟を持つと、苦労も多いだろう。横で見ている将臣も、多少同情の念を覚えなくはなかったが、

「あのな。やっぱり俺には関係ない話みたいだし、用があるならまた後で――」

 宗盛がキッと顔を上げた。

「座られよ!まだ貴殿への話はすんでおらぬ!」

「だったら早くしてくれよ。いったい何なんだ?」

 宗盛が音を立てて立ち上がる。

何事かと身構えた将臣だったが、宗盛はそのまま部屋の隅まで歩いていった。文机(ふづくえ)の上から一通の(ふみ)らしきものを取り上げ、こちらに戻ってくる。

「先日、宮中より届いたものだ。建礼門院様から、相談したいことがあると」

「ケンレイモンイン……ああ、帝の……」

 母親である。

先日、2人そろって六波羅に里帰りしたばかりだ。久しぶりに会う帝は、宮中では退屈していたと言い、将臣に遊んでほしいとせがんだ。

「帝、元気なのか?」

 なぜか宗盛の顔がひきつった。その顔のまま、将臣の手に文を押しつけてくる。

「読んでみよ」

 言われた通りに文をひらく。

細く、たおやかな女文字。帝の母親は、なかなかの達筆らしい――ということはわかったが、

「悪い。全っ然、読めねえ」

 ぴくり、と宗盛の額に青筋が立つ。

 しかし、そのくらいは見せる前からわかってほしい。こちらの暮らしにようやく慣れてきたところで、読み書きまで手が回らない。

「帝は!また貴殿と遊びたいと仰せなのだ!」

「なんだ。そんなことか?」

 将臣は拍子抜けした。

「そんなこと、ではない!こともあろうに、将臣殿を宮中に呼んでほしい、などと……!」

「……それがまずいのか?」

 何を問題にされているのか、将臣にはいまいち飲み込めない。しかし宗盛は、さも畏れ多いという風に声を戦慄(わなな)かせて、

「貴殿は公卿ではない!それどころか、この京の者ですらない!おいそれと宮中に上がれる身の上ではなかろう!」

 迫力に押されつつ、将臣は反論を試みた。

「いや、だったら帝に言えばいいだろ?無理だって。また今度、六波羅に来た時に会えるから我慢しろって」

 どうやら逆効果だったらしい。宗盛はますます激昂するばかり。

「申し上げた!だが帝は、お聞き入れにならぬのだ!あの聡明な帝が!今までわがままの1つも仰られたことがなかったものを、貴殿と会わせてくれぬのならと、建礼門院様の言いつけすら、聞かなくなってしまわれたのだ!」

 怒鳴りに怒鳴って、ぜいぜいと肩を上下させる宗盛。

 将臣はあっけにとられて、

「……はあ、そうか」

と、つぶやくのが精一杯だった。

 再び、宗盛がキッと顔を上げる。

「そうか、ではない!如何(いかが)されるおつもりだ!」

「俺にどうしろってんだよ。そっちでいいように決めてくれ」

「何を他人事のように!――笑うな、知盛!」

「笑っておりません」

 見れば、知盛はあさっての方を向いていた。

 こちらを向いた時には無表情だったが……多分、笑っていたのだろう。

「だいたいな、いくら聡明ったって、まだ子供だろ?わがままくらい言うだろうが」

 確かに帝は、年の割に聡い。

 同じ年頃の子供ではなく、大人たちに囲まれて育ったせいかもしれない。いささか空気を読み過ぎるようにも見える。

 たまには年相応に駄々をこねることも必要ではないのか。

「帝をそこらの子供と同じにされては困る!あの方が我ら一門にとってどれほど大切な存在であるか、貴殿にはわかるまい!」

「…………」

 将臣はぽりぽりと頭をかいた。

別に、全くわからないということもない。将臣とて、帝が清盛の孫であり、先帝の長子であることは聞いている。

つまり清盛は、自分の娘を先帝に嫁がせて、生まれた皇子を帝位につかせることで、平家の血を引く帝を誕生させたのだ。

宗盛が言うように、一門にとっては大切な存在なのである。周りの大人が、多少神経質になるのも無理からぬことだが、

「そうやってプレッシャーかけられてっから、あいつもわがまま言いたくなったんじゃねえの?」

「ぷれっしゃあ??」

「あー、つまり、重圧かけてるってこと」

 すうっと宗盛の顔から血の気が引く。

「我々が……帝に……?」

 言い過ぎたか。しかし、1度口から出た言葉を引っ込めることもできない。

「とにかく、な。宮中に行くとか行かないとかいう話は、俺が決められることじゃねえ。帝に会えっていうなら会うけどな。どうしてほしいんだ?あんたは」

 宗盛は答えなかった。しばし無言で将臣の顔をにらんでから、やがてゆっくりと口をひらく。

「建礼門院様から文が届くのは、これが初めてではない」

 同じ内容の相談が、今までにも何度か届いていたのだという。

 周囲の大人がいくら言い含めようとしても、帝は聞こうとしない。さすがに放置できなくなって、将臣に事情を話すことにした、というわけか。

「万一、帝がこのままで、(まつりごと)に支障を来たさば、由々しきことである」

 幼い帝自ら政治を行うとは思えないが、公式行事等、顔を見せねばまずい場面もあるのだろう。

「だが……この世界での身分を持たない貴殿を、宮中に参らせるわけには……」

 話が最初に戻っている。

 結局のところ、具体的な解決策はないらしい。事情を話す、というより、ただ単に文句が言いたかっただけなのかもしれない。

「よいのではございませぬか、兄上」

 その時、口をひらいたのは意外にも、ずっと我関せずという顔をしていた知盛だった。

「何がよいのだ」

 即座に宗盛が噛みついた。知盛は、ちらりと将臣の方に視線を投げて、

「帝のお望みを適えて差し上げても、よいのではありませぬか」

と繰り返した。

「何を言う!将臣殿は――」

「公卿どころか、この世界の人間ですらない。なれば、帝はお気に入りの犬とでも遊びたがっている、と思えばよいでしょう」

「…………」

 なぜか宗盛の顔から怒りが消えた。それどころか、考え込むような表情に変わる。

「おい。俺は犬なのか」

 知盛はそ知らぬ顔だった。それよりも、兄の注意がそれているのを見て、逃げる好機と思ったらしい。さっと音もなく立ち上がり、そのまま廊下に出て行こうと――。

「待て、知盛!おまえの話はまだ終わっておらぬぞ!」

 惜しいところで、宗盛が正気に返った。

 知盛は逆らわずに戻ってきた。

「何のお話でしょうか」

「とぼけるな!一門の男として、果たすべき役目を果たせと言っているのだ!おまえがいつまでも好き勝手しているから、重衡までもが落ち着かぬではないか!」

 弟の名を引き合いに出されて、初めて知盛が不快そうな顔をした。

「重衡のことは、あれに直接言っていただけますか」

「黙れ!おまえには兄としての自覚というものが足りぬ!将臣殿、貴殿からも何とか言ってやってくれ!」

「……俺に振るなよ」

 将臣は疲れたため息を漏らした。

 つくづく見た目の印象などアテにならない――もう少し、落ち着いた男かと思っていた。

「そのくらいにしてはどうかな、宗盛殿」

 混乱した状況に割って入ったのは、将臣の知らない声だった。

 部屋の外に誰か居る。(ぎん)(ねず)色の着物をまとった、やせて眼光鋭い男だ。

宗盛が狼狽した。

「こ、これは……忠度(ただのり)殿。熊野よりお戻りだったのですか」

 忠度殿。

 将臣は記憶を辿った。福原の宴や、六波羅のどこかで会っていたろうか、と。

「つい先程、戻ったばかりだ。清盛の兄上に、あちらの様子を報告にな」

清盛の弟か。

「貴殿が有川将臣殿かな。(それがし)、平忠度と申す」

 どうやら初対面だったらしい。将臣は姿勢を正して座り直した。

「はじめまして。清盛……さんには、色々、お世話になってます」

「いや。そのように堅い挨拶は無用。兄上から色々と聞いておるでな」

忠度は長いあごひげを撫でながら言った。

何を色々と聞いているのか、少しだけ不安だった。ただ、忠度の口ぶりは、どちらかと言えば好意的なものに感じられた。

 宗盛と向かい合う位置に腰を下ろし、いかにも年長者らしく、諭すように、

「心配する気持ちはわかるが、あまり煩く言うべきではなかろう。男女の仲というのは、人の思うに任せぬものゆえ」

(顔に似合わないセリフだな)

と将臣は思った。

 目の前の男が、実はなかなかに風流を解する教養人で、恋の歌も詠む、などということは想像できなかった。

「ですが知盛も、一門の男として――!」

「なれば、まずはそなたが後添えをもらってはどうかな」

 ぴたり。

 忠度の一言に、宗盛が石のように固まった。

「順番を言うなら、それが先であろう。一門の総領として、考えてみる気はないのか?」

「い、いや、それは……私には既に清宗も、副将丸もおりますゆえ……」

 実は、2児の父でもある宗盛だった。

数年前に妻を亡くし、現在は独り身。残された子供たちを、それは大切にしている、と聞く。

「後継ぎのことだけではない。そなたが継室(けいしつ)を迎えれば、一門の女たちをまとめる尼御前の助けにもなるであろう」

「ですが、私はまだ……亡き妻のことが……」

 しどろもどろに抗弁する宗盛。

どうやら、逃げるなら今だ。

そう思ったのは将臣だけではなかったらしく、いつのまにか知盛の姿が消えている。

宗盛は気づいていない――それでもできるだけ用心して、席を立つ。

十分に離れてから、将臣はひとつ、大きく息を吐いた。

「ったく。緊張感ねえなあ」

 今は戦の最中ではなかったのか。少なくとも将臣の周囲は平和に見える。

 だがその頃、南都では大変なことが起きようとしていたのだった。




十六、南都焼討 に進む



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