還内府の章 十三、酒宴

 

 経正から(ふみ)が届いた。

今夜、時間があれば、自分の邸に遊びに来ないかという内容だった。別に予定はないし、断る理由もない。

「あいつの邸ってのは、どこにあるんだ?」

 文を届けに来た使用人らしい小男は、将臣の問いに、愛想よく笑って答えた。

「ご都合がよろしければ、邸までお連れするようにと申しつけられております」

 手回しのいいことだ。そんなわけで、その夜、将臣は経正に会いに行くことになった。

 平家一門の邸は、だいたいが六波羅の中か、あるいは京の市街地の中でも西八条と呼ばれる一帯に固まっている。

 経正の邸は、六波羅の方にあった。それも驚くほど近く、清盛の邸を出て、5分も歩かないうちに着いてしまった。

わりと質素というか、こじんまりした邸だ。隣にもう少しだけ大きな邸があって、そちらは父の(つね)(もり)の邸だという。

「親とは別に住んでるのか……」

 考えてみれば、経正の家族構成など、よく知らないわけで。

 実は結婚しているとか、(これ)(もり)のように子供が居るという可能性もある。

 しかし、いざ邸の中に足を踏み入れてみると、待っていたのは、既に見知った顔ぶれだった。

 先に知盛・重衡兄弟が来ていたのだ。

「京に戻ってから、お2人とは共に酒を酌み交わす機会がなかったもので……」

と経正は言った。

 本当は他にも理由があったのだが、それはこの時の将臣には知る(よし)もないことだった。

「どうぞ、お座りください。将臣殿」

 勧められて、席につく。

こつん、と何かが背中に当たった。

振り向いてみると、赤い小さな(まり)が転がっている。やはり子供が居るのかと思えばそうではなく、鞠を追うように現れたのは、白黒のぶち猫だった。

「ああ、初音(はつね)。お客様の邪魔をしてはいけないよ」

経正が言う。

「あんたの猫か?」

「ええ。伯父上の邸に居る猫たちの妹です」

 あっちは白猫3匹と黒猫1匹、こっちは白黒のぶちか。美形ではないが、顔立ちや模様に愛嬌がある猫だ。

「ハツネっていうのか?」

 将臣が声をかけると、ぶち猫はニャーオと鳴いた。

 手を出しても逃げないし、嫌がらない。耳の付け根をかいてやると、逆に甘えるようにすり寄ってきた。

「へえ、懐っこいな」

「あまり人見知りをしない子なのです。他の姉妹に比べるとのんびりしているのですが……」

 経正は優しい眼差しで飼い猫を見つめている。人見知りをしないのは、主人の人柄によるものかもしれない。

 なんとなく、清盛邸の猫たちのことを思い出した。あちらは愛らしい見た目とは裏腹に、なかなかいい性格をしている。

「ペットは飼い主に似る、か――」

ちらりと知盛・重衡兄弟の顔を見る。

「何か?」

知盛が片方の眉を持ち上げる。

「いや、別に」

将臣はさりげなく目をそらした。

 ではあらためて、と経正が全員に酒を勧める。

酒は飲めない――年齢的にまだ飲んだことのない将臣であるが、こういうのは形だけでも受けるのが礼儀だろう。

互いに(さかずき)を交わした後、料理が運ばれてきた。

こちらの世界の料理は、どちらかといえば素材の風味を生かしただけのシンプルなものが多い。

さっと湯引きした貝とか、炒った豆とか、焼いた魚に酢をつけて食べる料理だとか。色彩は地味だが、味自体は悪くない。

将臣が黙々と料理に箸をのばしていると、経正が話を振ってきた。

「将臣殿は、京の暮らしにはもう慣れましたか?」

「ま、ぼちぼち、だな」

と将臣は答えた。

 なぜか知盛が意味ありげな笑みを浮かべる。

「随分とよく出歩いているようじゃないか……よほど京の町が気に入ったか?」

 将臣は軽く眉をひそめて、知盛の顔を見返した。

 まさか、聞いていないのか?将臣が弟と幼なじみを探していることを。

 いや、そんなはずはない。将臣自身は話していないが、時子や清盛が隠しておく理由がない。

 聞いていて知らぬ振りをする理由もないような気がするが……なんとなく、嫌な予感がした。

将臣はわざととぼけた口調で言った。

「そりゃ、な。大昔の日本を歩く機会なんて、滅多にあるもんじゃねえし。一種の観光、だな」

「クッ……、いいご身分だな」

 悪かったな、と将臣は答えた。本当はもっと言い返してやりたいところだが、ここは我慢だ。

「兄上、失礼でございますよ」

 重衡がたしなめる。

「将臣殿にも、事情があるのでございますから」

じっと意味深な目で見つめてくる。

(……何なんだ?さっきから)

兄弟そろって様子がおかしい。将臣が人探しをしているからといって、別におもしろいことなどあるまいに。

(いや、待てよ)

 知盛の冷やかすような目を見て、ぴんと来た。

 こいつら、何か勘違いしてやがるな。

探しているのが、弟と幼なじみの女――と聞いて、何か特別な関係でも想像しているのだろう。

多分、からかって遊ぶ気だ。将臣は話題を変えることにした。

「あー……、うまいな、この料理」

 かなり不自然、かつ唐突だったが、経正が乗ってくれた。

「将臣殿、もう1杯いかがですか」

 酒を勧めようとして、盃の中身が減っていないことに気づいたのだろう。

「福原でも飲まれていなかったようですが……もしや、こちらの世界の酒は、お口に合いませんか?」

 いや、そうじゃなくてと将臣は言った。

「俺らの世界じゃ、お酒は二十歳(はたち)から、って法律で決まってんだよな」

経正が、重衡が、目を丸くする。

「それは(たわむ)れのつもりか……?」

と知盛。

「いや、マジで」

「酒の飲み方を定めた法があるのですか。それは……何のために?」

 経正は二十歳という年齢よりも、そんな法律があることの方が不思議だったらしい。

「何のためって……俺も専門家じゃねえけど。子供の健全育成のためとか、多分そういうんじゃねえのかな」

「子供?」

「あー、つまり。ハタチからが大人、ってことになってんだ。けっこう曖昧(あいまい)なんだが……結婚とかは18からだしな。いや、女は16だったか?」

 重衡が盃を取り落としそうになった。

「もしや、それも法に定められているのですか」

「ああ」

18……。それまで、女性に近づくことが許されないとは」

 重衡の深刻な表情、というのは初めて見た。とっくに18歳は過ぎているだろうに、色々と身に覚えでもあるのだろうか。

「いや、そこまで厳しいもんじゃなくて」

「クッ……。異界に生まれなくてよかったじゃないか。今頃は大罪人(たいざいにん)として処刑されていたかもな?」

 兄の言葉に、重衡が即座に言い返す。

「他ならぬ兄上に、そのように言われるのは心外です」

 知盛に女が居るという話は聞いたことがないが……。

もっとも、将臣が知らないだけで、それなりに遊んでいるのかもしれない。知盛の容姿なら、黙っていても――黙っていれば、と言うべきか――女の方から、勝手に寄ってくるだろう。

 それに、と重衡が付け加える。

「美しい方に心惹かれるのが罪だというのなら、私は喜んで罪人(つみびと)になりましょう」

「おまえら、人の話聞けよ」

 経正がくすくす笑う。

「異界というのは、なかなか興味深いところのようですね。よろしければ、もっとお話を聞かせていただけますか」

「はあ。そりゃ、別にかまわねえけど……」

 その時、部屋の外から声がした。

「――経正様――」

 邸の使用人だろうか。だいぶ年のいった男の声だった。

「どうした?」

「経盛様が……」

 声は、わざとひそめているようで聞き取りにくい。経正の横顔に、かすかに緊張の色が浮かぶ。

「向こうで何かあったのかい?」

「は……」

「……わかった」

 経正は小さくため息をついて、将臣を見た。

「なんだ。どうかしたのか?」

「申し訳ございません。どうやら、父上がお呼びのようで……少しだけ、席を外してもようございますか?」

「ああ、別に……」

 将臣が言い終わる前に、経正は立ち上がった。言葉とは裏腹に、気持ちが()いている様子だった。

 部屋の隅で遊んでいたぶち猫も、主人と一緒に立ち上がる。

「では、失礼致します」

 足早に部屋を出て行く、経正とぶち猫。

 何の用だろうな――と言いかけて、やめた。なんとなく、わけありな空気を感じたからだ。

「おそらく、経盛叔父上は酔って人恋しくなったのでしょう。叔母上を亡くされて以来、ずっとお1人ですので」

 重衡が言った。

「ああ。そういうことなのか」

 将臣は適当に相槌を打った。本当はそういうことではないような気がしたが、話を合わせておいた。

小1時間ほどして、経正は戻ってきた。猫は父親の邸に置いてきたのか、1人だった。

中座した無礼を詫びて、何事もなかったように席につく。その体から、かすかに甘いような、不思議な香りがした。

この世界の人々には、着物に香を焚き染める、というたしなみがある。だからそれ自体は別におかしなことではないのだが、酔った父親をなだめに行ったにしては、不自然だった。

「どうかなさいましたか?将臣殿」

「いや、別に」

 将臣は経正の顔から目をそらし、代わりに膳の上の料理に箸をのばした。

 他人には知られたくないこともあるだろう。それを敢えて尋ねるほど、不躾(ぶしつけ)な真似をするつもりはない。

「俺も、酒でも覚えてみるかな……」

 全く関係のないことを口にする。

「ですが、将臣殿の世界では法に触れるのでは?」

「だから、こっちに居る間だけだって。郷に入っては郷に従え、って言うだろ。こっちの世界の暮らしも、いつまで続くかわからねえんだし」

「将臣殿にそのおつもりがあるなら、喜んでお相手致しますが」

 にっこり笑って、経正が盃を差し出す。

「ちょっと待て。すぐに、とは言ってねえぞ」

 元の世界でも、クラスメートに誘われたことくらいはある。法律で禁止されているとはいえ、好奇心で手を出す者はそう珍しくなかった。

もっとも、将臣自身は、さほど飲酒に興味があったわけでなし、好奇心から面倒なことになるのも馬鹿らしいと、敢えて手を出さずにいたのだが。

「まあ、始めは軽く試すだけでもよいのではありませんか」

 そう言いつつ、さらに盃を(すす)る経正。珍しく強引だ。あるいは、意外に酒好きなのかもしれない。

「……俺の親父は、あんまり強くないんだよ」

 こういうことは遺伝するという。自分が果たして酒を飲める体質なのかどうか、将臣自身にもわからない。

「母親はいけるクチなんだが、酔うとたまに荒れるんだよな」

「荒れる?」

「ああ。人に絡んだり、逆に涙もろくなって、恥ずかしいセリフも平気で言ったり……」

 将臣は続く言葉を飲み込んだ。横で聞いているだけだった知盛と重衡が、いかにも興味を引かれたように目を光らせるのを見たからだ。

「それは、是非……」

「見てみたいものでございますね」

 盃を手に、2人が迫ってくる。

「待て、おまえら。さては酔ってるだろ」

 じりじりと後ずさる。

「そう警戒するなよ……取って食おうというわけじゃないさ……」

「そのセリフ、十分危ねえだろ」

将臣は近付いてくる知盛の目をにらみつけた。

「兄上、無理強いはよくありませんよ。将臣殿自身に、その気になっていただかなくては」

「だから、おまえも」

 2人の動きが止まる。刹那のにらみ合いの後、経正が止めに入る。

「お2人とも、そのくらいで」

 笑いをこらえているような声だった。

「将臣殿とは、またいずれ別の機会に盃を交わすことに致しましょう」

経正に諭されて、かなり不満そうな顔をしながらも引き下がる2人。

やれやれと肩の力を抜きつつ、将臣は考えた。

この兄弟のことだ。また近いうちに飲ませようとしてくるかもしれない。

そうなる前に、試し飲みくらいはしておいた方がいい。帰ったら早速、時子に相談してみよう。

 期せずして異世界で暮らし始めたせいで、どうやら少しだけ早く、大人の階段を上ることになりそうだった。




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