還内府の章 十、清盛の郎等

 

 将臣が湯浴みをすませて軽い食事をとっているところに、重衡が姿を見せた。こちらも旅の泥を落とし、こざっぱりした格好に着替えている。

「これから所用のために外出しなければならないのですが、その前に、何か御用があればお伺いしようかと思いまして」

将臣は箸を動かしながら答えた。

「ああ、用はある。別に急ぎじゃないんだが」

 重衡は軽く瞳を(まばた)かせて、

「もしや、着物のことでしょうか?」

と尋ねてきた。

「よくわかったな」

「……なんとなく、そうではないかと」

 将臣は与えられた着替えを、また適当に着ていた。

「そろそろこっちの服も着られるようにならないとまずいだろ?」

「そうですね。よろしければ今、お教えしましょうか」

「いいのか?忙しいのに、悪いな」

「いえ」

 一瞬、重衡の瞳が悪戯っぽく光った気がした。なんとなく悪い予感を覚えつつ、ひとまず別室へと移動する。

「まずはこちらの(ひとえ)を着ていただいて、下は指貫(さしぬき)を――」

「……なあ、もうちょっと動きやすいのはないのか?」

 単というのは、無地のシンプルな作りで、さしずめ着物の下に着る着物、という感じだった。

 一方、指貫というのは、妙にもっさりした形の(はかま)で、歩けば確実に(すそ)を踏みそうなほど長い。

「慣れれば、存外動きやすいものですよ」

「そうかあ?」

「はい。あとは(かり)(ぎぬ)を身につけるだけです。色は、こちらの方がよさそうですね……」

 重衡が取り出した着物は、淡い山吹のような黄色で、裏地は濃いピンクだった。

「派手だな、おい」

「京ではごく普通ですよ」

そう言いながら、重衡は将臣に着物をかぶせ、いらないと断ったにもかかわらず、烏帽子(えぼし)まで頭に乗せられた。

あとは細部の紐を調節したりして、完成。

「ああ、よくお似合いですね」

 重衡はいつもの整った無表情で言った。しかし、その頬が一瞬ぴくりと震えたのを、将臣は見逃さなかった。

「……おまえ、遊んでるだろ」

「本当に、よくお似合いでございますよ」

 重衡が鏡を持ってきた。

わざわざ見るまでもなく、何の仮装だ、というほど似合っていない。着慣れていない、とかいう次元の問題ではない。

「では、私は内裏(だいり)に行かねばなりませんので」

「ちょっと待て。このままにしていく気か?」

 将臣の抗議を無視して、重衡は立ち去った。後を追おうにも、もっさりした袴が動きを束縛する。

 2度とあいつには物を頼むまい、と心に決めつつ、将臣は烏帽子を投げ捨て、動きにくい着物を脱ごうと、しばし格闘した。

「失礼」

 部屋の外から、聞き覚えのない男の声がした。

 将臣は動きを止めた。

同時に、カラリと部屋の戸が開く。現れたのは、あの斉藤実盛と同年代の老武士だった。

 彫りの深い顔立ちに、銀色の髪と口ひげ。着物よりスーツの方が似合いそうな風貌だ。とっさに「執事」という言葉を思い浮かべた。

「重衡様から、お客人のお手伝いをするように、と仰せつかりました」

「……は?」

 老武士はすたすたと部屋の中に入ってくると、将臣の前に膝をついた。

「えっと、あの?」

「失礼。どうか、動かずに」

 戸惑う将臣に構わず、着物の着付けを始める。

それはもう鮮やかな手際で、将臣はただ突っ立っているだけでよかった。

――それから、およそ5分後。

「お待たせ致しました。これでいかがでしょうか」

 老武士が立ち上がる。

「…………」

 狐につままれたような気分で、将臣は自分の体を見下ろした。

 すっきりとした細身の青い袴、同色の無地の着物。

慣れていないせいか腰の辺りがやや窮屈だが、その分、ぴしりと背筋がのびている気がする。これで刀でも差せば、傍目(はため)には武士そのものだろう。

「……すみません、助かりました」

「いえ、よくお似合いでございますな」

 老武士はにこりともせずに言った。

「あー……どうも」

「申し遅れました。私は、平清盛(たいらのきよもり)(こう)郎等(ろうとう)。名は(もり)(くに)と申します」

「あ、はい。俺は有川将臣――」

「承っております。お話は全て、(ふみ)にて」

 盛国と名乗った老武士は、やんわりと将臣の自己紹介を遮った。

「お客人には何不自由なくお過ごしいただくようにと、我が殿(との)の仰せ。どうぞ何なりと、お申し付けください」

 そう言って、軽く一礼。

 なめらかでよどみのない口調、かしこまった立ち居振る舞い。外見だけでなく、中身も執事のような男だった。

 ただ――口調は丁寧だが、いささかそっけないというか、取り付く島がない。相手が言葉通りに自分を歓迎してくれているのかどうか、将臣には判断がつきかねた。

「ええと……盛国、さん」

「は」

「話は全部聞いてるって……その、俺が別の世界から来たってことも?」

「伺っております」

 あっさり肯定されて、言葉につまる。盛国は淡々と続けた。

「ゆえに心を配るようにと仰せつかっております。見知らぬ場所で、勝手の違うこともございましょうから」

「いや、あの……ぶっちゃけ、疑ったりとかは?」

 異世界からの客人を接待しろ、などという手紙をいきなりよこされたら、普通は面食らうだろう。もしくは、悪い冗談だと思うはずだ。

 しかし盛国は平然と首を振った。

「私は清盛公の郎等。我が殿の言葉を疑うわけには参りませぬ」

「……そういうものなんですか?」

「は。異界から来られたというのは確かに驚くべきことでございますが、我が殿に驚かされるのは(つね)のこと(ゆえ)

「…………」

 将臣は清盛の顔を思い浮かべた。……なんとなく、納得できる言葉だと思った。

「……大変なんですね」

 この状況で、自分が言うのもどうかと思うが。

「いえ、慣れておりますので」

と盛国。平然としている分、日頃の苦労が察せられる気がした。

「どうぞ、福原の邸と同様、この六波羅でもおくつろぎください。ご事情は全て存じ上げておりますので」

そう言って、また一礼。

つまり、将臣の口からあらためて説明する必要はない、ということか。

愛想はないが、それはこの男の()なのかもしれない。少なくとも、将臣がやってきたことを迷惑に思っている、というわけではなさそうだ。

「すみません。お世話になります」

将臣はあらためて頭を下げた。

ふっと盛国の頬が緩んだ。彫りの深い顔立ちに、かすかに笑みらしきものが浮かぶ。

「先程は申しませんでしたが――」

「?」

「文を受け取った時から、1つだけ、心にかかっていたことがございます」

「……心にかかっていたこと?」

 将臣は首をひねった。

「清盛公の文には、お客人が、重盛様のお若い頃に生き写しである、とそう書かれていました」

 じっと将臣の顔を見る。その目はどこか懐かしそうだった。

似ているという言葉は何度も聞かされた。だが、こんな目で将臣を見る者は限られていた。

そもそも重盛という男は、あの維盛の親だというくらいだ。少なく見積もっても40歳は過ぎていたはずで、その若い頃の顔――と言われても、とっさに思い出せるものではなかろう。

盛国は覚えているのだろうか。だとすれば、よほど親しい間柄ということになる。それこそ実の親が、我が子の思い出を記憶に留めているように――。

「我が殿に限って、重盛様のお顔を見誤るはずがない。しかし、重盛様のような方が、この世に2人居るとは信じられず――」

「そんなに似てるんですか?」

 将臣の問いに、盛国はうなずくことも、首を振ることもしなかった。代わりに一言、

「先程の(かり)(ぎぬ)姿、実によくお似合いでしたな」

「……はい?」

 いきなり何を言い出すのか。困惑する将臣に、盛国は言った。

「あのお姿を見た瞬間、重盛様が初めて内裏に昇られた日のことを思い出しました」

「はあ、そうですか。俺はどーも、ああいうぞろっとしたのは性に合わなくて……」

盛国はくつくつと笑った。

「重盛様も、そう仰られていました。狩衣や直衣(のうし)がお嫌いで、『貴族の真似事は性に合わない』と、口癖のように」

「…………」

「世の中には、不思議なことがあるものでございますな」

 将臣はコメントできなかった。

 不思議というなら確かに不思議であるが、そもそも自分は重盛のことを何も知らない。

「失礼致しました。年寄りの昔話と思って、お聞き流しください」

「はあ」

「まずは邸の中をご案内したいと思いますが、よろしいでしょうか」

「あ、はい。お願いします」

 盛国に案内され、邸の中を見て回っているうちに、日が暮れた。

 この世界の夜は早い。何しろテレビも電気もないからだ。

 夕食の後は、与えられた寝所(しんじょ)に引き上げた。もともと宵っ張りの将臣であるが、やはり旅の疲れもあってか、(とこ)に入るなり熟睡。

 翌朝は例によって寝過ごし、床の中でぐだぐだしているうちに、清盛らが京に到着した。

「将臣、どこにおる!京に来たのだぞ!おもしろき場所に案内(あない)してやろうではないか!」

 それまで静かだった邸の中が、途端に騒がしくなる。仕方なく、将臣も床から起き上がり、身支度を始めた。

 京での暮らしは、こうして始まった。

 この日から、およそ2年半。将臣は、この六波羅の邸で寝起きすることになるのだった。




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