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 登場人物紹介ページの続き。
 こちらでは、ゲームに出てこなかった人物について解説します。
 史実や「平家物語」を参考にしつつ、キャラクターの造形については管理人のオリジナルです。
 歴史ファンの人は、「○○はこんなじゃない!」とご不満に思われるかもしれませんが……ご容赦ください。
 年齢は1180年の時点で。短編のみ登場の重盛などは、1171年時点の年齢です。
 史実と物語で年が違うキャラについては、(史実→物語)という表記になっています。

 小説に登場したキャラから順に、追加・補足していく予定です。



→ゲーム登場キャラの紹介はこちら



平宗盛 34歳→27歳  

清盛の三男。母は時子。同母兄弟の長男です。

異母兄・重盛と同じく、内大臣まで出世しました。通称・屋島大臣など。

 

「平家物語」の中では1、2を争う好きなキャラです。

壇ノ浦の敗戦で、味方が次々と海に飛び込む中、宗盛は船べりで立ち尽くすだけで、身を投げることができません。挙句、見かねた味方の兵士に、船から突き落とされる()

だけど一族の滅亡を目の当たりにして、ただ呆然とするしかなかった宗盛の気持ち、わかりますよね。

ましてその時、宗盛の前には最愛の息子・清宗が居たんですよ。息子がまだ生きてるのに、死にたくないと思う。これも現代人にはむしろ理解しやすい感情ではないでしょうか。

「平家物語」の彼は、ヘタレだけど(笑)、とても家族思いな人。最期の言葉も、息子を想うものでした。

 
「遙か」では
未登場。ただ、そうなると清盛亡き後の棟梁は誰だったんだって話になってしまうので、出てこなかっただけで一応居たんでしょうか。

だとしたら、規格外の兄や弟たちに挟まれて、きっと苦労しただろうなあ……というところから、当サイトの宗盛ができました。

コンセプトは家族思い、行き過ぎてブラコンお兄ちゃん(笑)。

 
 
あと、年齢については、知盛や重衡がだいぶ若くなっているので、それに合わせました。同母兄弟だし、年が近い方が自然ですよね?

  

建礼門院徳子(けんれいもんいん・とくこ) 26歳   

清盛の娘(三女?)。母は時子。

17歳の時、高倉帝の中宮となる。その後、安徳帝を出産し、国母の地位を得るが、一門の都落ちによって、彼女の運命も暗転。

 苦労を重ねたのち、壇ノ浦の戦いで、安徳帝や一門の人々と共に入水する。

 しかし敵兵に引き上げられた彼女は、出家して尼となり、安徳帝の菩提を弔いつつ、つましく寂しい暮らしを送る。

 彼女がどんな人だったのか……を伝えるエピソードってあんまりないんですよね。「平家物語」の最後に彼女が主役っぽい話もあるんですが、内容はいかにもフィクションです。

おとなしい人だったのか、単に伝わっていないだけか。

 

歳下の高倉帝と結婚して、安徳帝が生まれるまで、およそ7年。

 平家の血を引く帝を誕生させるために入内した彼女にとって、重圧のかかる日々だったことは想像に難くなく。

 そんな彼女の苦労を全部なかったことにはしたくないので、年齢は史実通りにしました。

 なので、本当は知盛の妹ですが、当サイトでは「姉」になっています。


平盛子 16歳(1171年時点)   

清盛の娘(四女?)。
 母は不明。時子さんの娘、という説もありますが、生まれ年が重衡(※ゲームではなく史実の方)と同じなんですよね。やはり母親が違うのか、どこかの星の一族のように男女の双子だったのか。

 

9歳の時、13歳年上の藤原基実の正室となります。

基実は2年後に病死。わずか11歳の盛子が遺領を相続したため、「平家一門が摂関家の資産を横取りした」と問題にされました。

 まあ、清盛には実際、そういうつもりがあったのでしょうし、もくろみ通りに事が運んだのは、当時、一門と蜜月だった後白河院が黙認したためです。

 しかしながら、盛子もまた早世してしまいます。何の因果か、夫と同じ24歳で。

 

 で、再び相続問題が起きるのですが、院と一門の仲が悪くなっていたため、前のようにすんなりとは行きませんでした。

 この時のごたごたが武力クーデター「治承三年の政変」、さらには源平合戦へとつながってゆくのですが……。くわしくは、「源平歴史解説」ページ「23、2つの死」の辺りを参照のこと。


平経盛 57歳   

 清盛の異母弟(三男)。

 母親の身分が低かったため、さほど出世はしなかったが、芸術的な方面では活躍。同時代の有名歌人と交流し、経盛自身も歌を残している。

 また、敦盛の横笛「青葉」は、経盛が父・忠盛から送られたものを、さらに息子へと譲った。親子三代の手を渡った笛である。

 

壇ノ浦の戦いで、弟・教盛と共に入水。


平頼盛 49歳   

清盛の異母弟。

父は平忠盛、母は藤原宗子(池禅尼)。

通称・池殿、池大納言。

 

清盛始め平家一門とは仲が悪く、だいぶ距離を置いていたようです。母親が父の嫡妻(最も身分の高い妻)だったため、プライドがあったのか、それとも何か他の理由だったのか。

 

「平家一門」というよりは「後白河院の近臣」という立場で見られていたらしく、一門の都落ちにも同行しませんでした。

また、源頼朝とも親しく、壇ノ浦での一門「滅亡」後も、頼盛とその一族は生き延びます。

 

ですが、同じ血を分けた一族の首が次々と都に送られてくるという現実の中で、心穏やかにはいられなかったのでしょう。

わずか1年後に病死。彼の子孫も、歴史の表舞台から姿を消していくことになります。


平時忠 53歳   

時子(二位の尼)の実弟。

通称・平大納言、平関白とも。

 

清盛の家とは、遠い遠い親戚です。清盛のご先祖が東国に下ったのに対し、時忠の一族は京に残り、貴族として朝廷に仕えました。

ぱっとしない家柄でしたが、時子が嫁いだ清盛が大いに出世したため、時忠も出世しました。というか、政治家としてはわりと有能な人だったみたいです。

 

「平家にあらずんば人にあらず」という有名なセリフは、この人が言った……とか言わなかったとか。

人間的な評価は、物語にしろ史実にしろ、あんまりいいのが残っていません。冷酷というか傲慢というか。この人1人で一門の敵を増やしてる感じがしなくもないような。管理人は別に嫌いじゃないですが。

 

壇ノ浦の合戦で捕らえられ、能登に流されて、その地で没。

宗盛や重衡は処刑されてるのに、彼らに近い立場に居たはずの時忠は「流罪」なんですね。

貴族優遇、武士差別……。


藤原領子  

 時忠の継室(後妻)。

 父は藤原顕時。母親は不明ですが、平忠盛の娘という説もあります。本当だとすると、領子は清盛の姪ということになりますが。

女房として内裏に仕え、建春門院民部卿局、洞院局、などの名で呼ばれました。安徳帝の誕生後は、その乳母(養育責任者)となります。

有能な働く女性……というイメージでしょうか。

時忠の前妻の子と折り合いが悪く、讒言によって陥れた、なんて怖い噂もありますが(笑)、真偽は不明です。

 

高倉帝の崩御に伴い出家。

平家の都落ちには夫と共に同行し、壇ノ浦の戦いで捕らえられ、都に戻ります。その後の足取りは不明。


平清宗 11歳→6〜7歳くらい   

宗盛の嫡男。母は平清子。官位は右衛門督。

わずか3歳で叙爵、元服して内昇殿を許される。

人目を引く美童で、そのため後白河院のお気に入りだった、とも。

清宗の母親・清子は、院の最愛の女性・建春門院滋子の同母妹です。推測ですが、清宗には滋子の面影があったのかもしれません。

 

「平家物語」では、父親思いの聡明な少年として描かれています。

壇ノ浦の戦いで父と共に捕らえられ、鎌倉に送られたのち、近江で斬首。

享年16歳。


副将丸(平能宗) 3歳   

 宗盛の息子。

 清宗とは異母兄弟ということになっているんですが、「平家物語」によれば、副将丸は生まれてすぐに母親を亡くした、とのこと。

 でもって、清宗の母・清子の没年も同じ年。

……?2人は同母兄弟じゃないんでしょうかね? ひとまず当サイトではそういうことにさせてもらいますが。

 

 壇ノ浦での一門滅亡後、源氏の兵によって処刑されました。

 その場面を描いた「副将被斬」は「平家物語」の中でも1、2を争う、全く救いのない、悲劇的な場面です。……たった8歳の子供を殺して、何の意味があるっていうんだ……。

「わかってるだろ。後はおまえに任せた」って感じで、部下に副将丸の始末を押し付けて逃げる義経も卑怯な感じ。自分の責任で助命するくらいの度量を見せろよ……。


平重盛 34歳(1171年時点)   

清盛の長男。母は清盛の先妻。

別名「小松内府」。

小松は地名。内府は内大臣のこと。小松に邸を持っていた大臣だから、小松内府。

 

史実の重盛は、実母の身分が低かったため有力な後ろ盾もなく、清盛と後白河院の間に挟まれたり、関係の深かった藤原成親の失脚があったりで、けっこう苦労してます。

温厚で、優れた人格者であったとのこと。

                

一方で、「平治の乱」の時には頼朝の兄・義平と大立ち回りを演じたり、「平家の悪行事始」として知られる「殿下乗合事件」の際には、息子・資盛を暴行した藤原基房を仕返しにボコったり。

案外、内には熱いものを秘めた人だったのかも。

清盛がアクセル役なので、ブレーキ役・フォロー役として機能していた、とか。

 

「遙か」の重盛は、清盛の言によれば、外見だけでなく、性格・声・振る舞いなども将臣に似ていたとのことなので、「まんま将臣くん」のつもりで書いてみました。

なんとなく、心配性なお兄ちゃんぽくなりましたが(笑)。


藤原経子   

 重盛の正室。清経、有盛らの実母。

父は藤原家成。成親は実兄。この家系は代々、平家一門と関わりが深く、姻戚関係を結びながら互いに発展してきました。……こう言うと何だか対等だったみたいですが、最初は明らかに藤原家の方が格上。

 徐々に平家が力をつけ、清盛の代でほぼ逆転。やがて両家の関係に緊張関係がただよい始め、「鹿ヶ谷の謀議」事件へとつながっていきます。

 

 実家と平家の関係が破綻した後も、経子と重盛の夫婦関係は続きます。

 重盛の死後、出家。

 普通に考えて、源平合戦の際にも一門に同行していたんじゃないかと思いますが、その後の消息及び没年は不明。


平資盛 20歳   

重盛の次男。母は藤原親盛の娘。

生まれ年に異説があるのですが、当サイトでは「1161年」を採用。

 

父・重盛が一門の後継者だった頃は、彼の家=小松家が平家一門の主流派でした。

しかし姻戚関係を結んできた藤原成親の失脚や、重盛の死、兄・維盛の失態などで徐々に追いやられていき、源平合戦の頃には、完全な傍流になっていました。

 

一門都落ちの際も、まずは関係の深かった後白河院を頼ろうとしますが、混乱の中、連絡が取れず……、やむなく一門に同行。

その後、弟・清経が九州で自殺してしまい、兄・維盛も一門から離脱し、熊野で入水。

資盛は一門の中に踏みとどまって戦ったものの、最期は壇ノ浦の戦いで、弟の有盛、従兄弟の行盛と手を取り合って海に身を投げます。

不憫というか、報われないというか……見ていて気の毒な感じ。

恋人である「建礼門院右京大夫」という女性の歌集に登場する在りし日の資盛は、本当に、ごく普通の若者、という感じなのですが……。


平清経 18歳  

重盛の三男。母は藤原経子。

母親が父の嫡妻(最も身分が高い妻)であるため、兄弟の中でも出世は早い方でした。場合によっては、彼が家督を継ぐ可能性もあったようですが……実の伯父に当たる藤原成親の失脚によって、その目はなくなったもよう。

 

「平家物語」では、「何かにつけ思いつめるタチだった」と書かれており、都落ちした平家がさらに九州からも追い出された後で、船上から身投げしてしまいます。享年21歳。


平有盛 17歳 

重盛の四男。母は藤原経子。通称・小松少将。

名前以外の人物像はほとんど伝えられていません。

当サイトにおける「重盛似」という設定は創作です。通称に「小松」が入っているので、もしかしたら面影があったのかな?と想像してみました。

 

都落ちから壇ノ浦の戦いまで、一門と行動を共にします。

最後は兄の資盛、従兄弟の行盛と手を取り合って入水。


平行盛 

清盛の次男・基盛の息子。母は不明。

実父の基盛が早世したため、叔父に当たる重盛に育てられました。

 

優れた歌人であったらしく、都落ちの際、藤原定家(著名な歌人。新古今和歌集の選者)に託した歌が残されています。
 一方、源平合戦には武人として参加。壇ノ浦まで一門と行動を共にし、
最後は従兄弟の資盛、有盛と手を取り合って入水。


平教盛 53歳   

清盛の異母弟(四男)。

通称・門脇殿。(邸が六波羅の総門にあったから)

出世に従って、門脇宰相→門脇中納言と呼ばれる。

 

壇ノ浦の戦いで、兄・経盛と共に入水。

 

「遙か」は美形キャラが多いので、差別化のために体育会系にしちゃいましたが、もう少しひねった方がよかったかなとも思います。

 本当の門脇一家は、もっとカッコイイですよ。多分。

 イケメンの教経や渋い門脇宰相殿が見たいという方は、是非こちらのサイト様を参照のこと。


平通盛 28歳   

 教盛の嫡男。清盛の甥。越前守。

 平家の傍流という自由な立場からか、源平合戦では、常に前線に出て戦った。一の谷の合戦で討死。

 

 戦いよりも、妻・「小宰相」とのエピソードの方が有名です。

 通盛は、人柄はよさげだけど、取り立ててイケメンというわけでもなく、重衡とかに比べれば全然モテるタイプじゃなかったみたいです。

それがどういうわけか、宮中一の美女を射止めてしまい、周りの貴族にやっかまれた、という話が残っています。

 

 才色兼備な恋多き女が、なぜか平凡な男に心惹かれる……現代でもありそうな話ですね。

 しかし2人の愛は、通盛の戦死によって悲劇的な結末を迎えます。

 小宰相が夫の悲報を聞いたのは、福原から屋島に逃げる船の上。

悲嘆にくれる彼女は、周囲の人間が目を離したほんのわずかな隙に、海に身を投げてしまいます。

急いで引き上げられるも、時既に遅く……。この時、彼女は、通盛の子を身ごもっていました。

一の谷の合戦から生まれた、悲劇のひとつです。


平教経 21歳   

 教盛の次男。清盛の甥。能登守。

 兄・通盛と同様、戦いの最前線で活躍しました。「平家一の将」は「遙か3」では知盛ですが、「平家物語」ではこの人という感じ。

 

平家最後の戦いとなった壇ノ浦でも、源氏の兵は誰も彼を止めることができず、斬りまくっていたところを、「無益な殺生はするなよ」と知盛に(!)諭され、敵兵2人を道連れに入水。壮絶な最期を遂げました。

また、屋島の戦いでは、九郎義経に船上から弓を射掛け、あわやというところを義経の腹心・佐藤嗣信が身代わりになったという有名なエピソードがあります。

とにかく強い人だったんですね。


平教子  


 教盛の娘。

生没年不詳。当サイトでは、通盛の妹で教経の姉としました。

エリート貴族・九条兼実の家司(執事みたいなもの)であった藤原範季と結婚し、2人の子供を儲けます。
 また、高倉帝の第4皇子・尊成親王を乳母として養育しました。

 

 西暦1183年、安徳帝が平家一門に伴われて都を落ちると、尊成親王が新たな帝として即位することに。

 当時、帝の養父母やその一族は出世して権力を握ることが多かったので、これは幸運なことと言えました。

 一方では、親兄弟や親類縁者が源平合戦で討ち死にしてしまう、という悲劇も経験するわけですが。

 

 教子の娘・重子はのちに後鳥羽帝の寵后となり、その皇子は順徳帝として即位。教子は帝の外祖母になります。

 また、女房として内裏に仕え、最終的に従三位という地位を与えられました。

 

しかし、西暦1221年に起きた「承久の乱」の敗北によって後鳥羽院・順徳院が流罪となり、院の側近として仕えていた教子の息子・範茂は幕府によって処刑されてしまいます。

波乱万丈の人生ですね。

 平安末期〜鎌倉初期の歴史の目撃者ということもできそう。


平盛国 68歳   


 平家の武士。伊勢守。

清盛の家令……要するに執事のようなもの。

 病に倒れた清盛が最期の時を迎える場所に選んだのが、この盛国の邸。清盛にとって、最も信頼する家人であったらしい。

 

 清盛の死後も一門に仕え、壇ノ浦でその滅亡を見届ける。

 捕虜となって鎌倉に送られ、源氏の武士に身柄を預けられたのち、自ら飲食を絶って自害。

その最期を、源氏の棟梁・頼朝さえも称えたという。


平貞能  


 平家の武士。平家第一の郎等・平家貞の次男。肥後守。

 清盛とは遠い親戚ですが、数代前に臣下に下っています。

 

この人を登場させたのは、「重盛の忠臣」みたいな感じのキャラを将臣に会わせてみたいと思ったから。

重盛が亡くなり、小松家が平家の主流から傍流に追いやられると、その臣下の武士たちも同様の扱いを受けるようになります。

つまり、出世コースを外れ、危険で遠い戦地に送られたり、とか。

貞能は九州の叛乱討伐を命じられ、苦労の末にようやくこれを鎮圧。しかし使命を果たした彼が京に戻ってみれば、一門は木曽義仲との戦いに敗れ、都落ち直前の大混乱。

絶望した彼は、主君・重盛の骨を「敵の馬に踏ませてなるものか」と墓から持ち出し、一門を離脱します。

見事な忠臣ぶりでしょ?

実際には、この描写はフィクションで、都落ちにも九州までは同行したようなんですが、結局は離脱して出家したとか。

彼が「還内府」に会ったら、その辺りの歴史も変わるかな?


斉藤実盛   

平家の武士。元は東国で源氏に仕えた。平治の乱後、平家に仕えるようになる。

温厚で義理堅く、1度受けた恩義は忘れない人。

小松家との関係が深く、維盛の後見人的立場であり、富士川の戦いにも同行している。

 

平家と源義仲が戦った「篠原の戦い」で討死。


伊賀家長   

 当サイトでは現在、名前のみ登場。

知盛の乳兄弟、または腹心の部下。「伊賀平三家長」とも。

正確な出自は不明。平家第一の郎等・平家貞の子という説もあるようですが、家貞は清盛の父親と同世代です。本当に家貞の子なら、かなり年の離れた親子ということになりますね。

 

なお、この人には「伊賀忍者の祖ではないか」というおもしろい説があります。

「隠密」という存在が確認されるのは時代的にはもうちょっと後みたいですが、「偵察」「斥候」程度なら居ても不思議はないですよね。

 

源平合戦では、室山の戦いなどに参加。最後は壇ノ浦で、知盛と手を取り合って入水します。共に育った乳兄弟として、常日頃から深い絆で結ばれていたようです。

ただ、「遙か」の知盛は、相手が誰だろうと、そんなことしなさそうですね……。

後藤盛長   

 重衡の乳兄弟。詳細は謎。

一の谷の戦いで、重衡を見捨てて逃げた、という以外のエピソードが残っていない気の毒な人。

 

史実の重衡は、色々と気遣いのできるいい人だったみたいなのに、なんでよりにもよって乳母子に逃げられちゃったんだろう。

乗っていた馬を取られるのを恐れたから?

命が惜しかった?

可愛さ余って憎さ百倍?

いえ、もちろん物語ですから、フィクションの可能性もありますけど。


高倉帝 20歳   

 後白河院の第7皇子。母は建春門院滋子。

数え8歳で帝になり、11歳の時、清盛の娘・徳子を中宮として迎える。

平家政権の傀儡の帝で、実父・後白河院と一門の対立には心を痛めていたと言われる。一方では、彼自身が積極的に平家と同調して、政治を行おうとしていたという説も。

 

「平家物語」のエピソードによると、穏やかで優しい人だったみたいです。

彼の母親は院に寵愛された女性ですし、多分、小さい頃から両親に可愛がられて育ったんでしょうね。

 父親同様、女性関係はとてもにぎやかでした。

 わずか21歳で亡くなってしまいますが、既に皇子が4人、皇女が3人居ました。


後鳥羽帝(尊成親王)  

 高倉帝の第4皇子。母は藤原殖子。

 平家の都落ち後、祖父の後白河院らの政治的思惑により、新たな帝として即位させられる。帝位の象徴たる三種の神器がないまま、しかも異母兄・安徳帝の在位中という、異例ずくめの即位であった。

 祖父の死後は自ら親政を行い、息子の土御門帝・順徳帝が即位してのちは治天の君として朝廷のトップに君臨。

和歌の巧みで、当代一の歌人に歌集を編纂させる一方、武芸をたしなみ、自ら馬に乗り、船を操り、盗賊退治に出かけたなどという逸話も残る。

 西暦1221年、鎌倉幕府と対立して「承久の乱」を起こし、敗れて、隠岐に配流。その地で没。

 

当サイトでは、史実より少しだけ年齢を上げて、同母兄の守貞親王と双子、という設定にしました。

 安徳帝と守貞親王って、ほんの数ヶ月違いの兄弟なんですよ。そういうのって、本人同士は複雑な気分でしょうね。基本、父親が浮気しない限りありえないし

もともと安徳帝と後鳥羽帝は複雑な関係なので、より複雑にしてしまおうと(笑)。

この人が帝になったところも、いつか書いてみたい気がします。


守貞親王  

 高倉帝の第2皇子。母は藤原殖子。

 平知盛を乳父に、その妻・治部卿局を乳母として育つ。

 現代よりはるかに乳幼児の死亡率が高かった時代、おそらく安徳帝にもしものことがあった時のため、一門で育てられたのでしょうね。

「遙か」の知盛は結婚していませんから、誰か別の乳父に育てられているのでしょう。

 一門の都落ちにも同行し、壇ノ浦の戦いで保護され、都に戻ります。その後は静かに暮らし、30代で出家して、1度は世俗を離れます。

 

しかし西暦1221年に起きた「承久の乱」で転機が。

 乱に敗れた後鳥羽院系の皇族を、鎌倉幕府が政治中枢から排除してしまったため、守貞親王の三男・後堀河帝が即位することに。守貞親王は、突然「帝の父」となったのです。

それから2年後には亡くなってしまうのですが……、人生、何が起こるかわかりませんね。


範子内親王  

 高倉帝の第2皇女。母は小督局。

安徳帝や後鳥羽帝の異母姉です。

 

 皇女自身より、母親にまつわる話の方が有名でしょうか。

小督局は、後白河院の乳父・信西入道の孫に当たる女性で、たぐいまれな美貌の持ち主だったと言われています。

高倉帝の寵愛を受け、中宮・徳子より早く皇女を授かりますが、これが清盛の怒りにふれたのか、出家させられてしまいます。

 ちなみに小督局には藤原隆房という恋人も居ました。こちらも清盛の娘婿です(笑)。

 

 範子内親王は母親と別れて都に残り、乳父のもとで養育されます。

 平家に睨まれて、多少窮屈な暮らしだった……かもしれません。ただ、平家の失脚後は、帝の異母姉として高い地位を得ました。


藤原成親 34歳(1171年時点)   

後白河院の近臣。

院政が始まった頃から代々、院の近臣として仕えてきた有力な家系で、平家一門とは複雑な姻戚関係で結ばれてきた。

成親の父・家成は清盛と交流があり、また成親の妹が重盛の妻、娘が維盛の妻です。

 

平家転覆の陰謀「鹿ケ谷の謀議」の露見によって、捕らえられ、流罪先で変死。

……毒を飲まされた挙句に槍を立てた地面に突き落とされたのを、普通「変死」とは言わないでしょうが、公的な「処刑」ではないところが、彼の家や関係者に対する、せめてもの配慮だったのでしょうか。

 

 上記のように、成親の家は平家と長い付き合い。

そんな彼が、なぜ平家を裏切ったのか。管理人的にはかなり不思議な気がします。

 

「平家物語」では、出世争いで負けたのを恨みに思った、ということになっています。

平家は武士の家柄ですし、貴族生まれの彼にしてみれば、なんとなく下に見ていた相手に追い越されたって感じだったんでしょうかね。

出世で負けるのって、そんなに許せない?


西光法師   

最初に書いておきますが、歌人の「西行法師」とは全くの別人です。

 

本名が藤原師光。主君「信西入道」から一字もらって、「西光」。

「遙か」ファンには全く本気でどうでもいいことだと思いますが、管理人は西行法師の歌が好きなので、間違えられたくないのです。

 

後白河院の近臣の1人。

上記「鹿ケ谷の謀議」で捕らえられ、処刑。 ……「平家物語」ではこの際、清盛を思い切り罵った挙句、顔を踏んづけられています。

 

別に悪役ってわけでもないですが、魅力的な人物にも描かれていない。「遙か」の世界なら、怨霊とかになって蘇ってきても全く不思議のない人です。

 多分、平家や清盛のことをたっぷり恨んでいると思うので、そのうち悪役として登場させるのもありかな、とひそかに考えたりしています。







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